追悼 免田栄さん 人間回復の闘いだった


2019年9月17日、熊本大学であったトークイベントで発言する免田栄さんと妻玉枝さん。

 死刑囚として初の再審無罪となった免田栄さんが2020年12月5日、老衰のため亡くなった。入所していた福岡県大牟田市の高齢者施設で、妻の玉枝さん(84歳)にみとられながら95歳の生涯を閉じた。

 免田さんは1949(昭和24)年1月、熊本県人吉市の祈祷師一家4人殺傷事件(免田事件)で逮捕、自白を強要された。裁判でアリバイを訴え全面否認したが、1952年1月、一審の死刑判決が確定した。死刑執行の恐怖におびえながら、6度にわたる再審請求の末、晴れて無罪となったのは1983年7月。23歳から57歳まで人生の盛りの34年余りを獄中で過ごした。

 熊本大学文書館に寄贈された資料の中に、獄中から父・栄策さんら家族に宛てた400通余りの手紙がある。必ず正しい裁きがあって父の元に帰る日が来ることを繰り返しつづっており、強い信念が伝わってくる(ニュース「免田事件の資料整理進む」)。

 「自由社会に帰って来ました」──釈放後の晴れやかな第一声だが、待ち焦がれた「自由社会」は生きにくい社会だった。なお犯人と疑う“世間の目”。免田さんの後半生は冤罪根絶と死刑廃止を社会に訴えることと共に、無罪になっただけでは果たせなかった、人間としての復権を目指す闘いだった。

 免田さんは二つの行動を起こす。一つは2005(平成17)年3月、自身の再審無罪判決に対し再審を請求した。社会の厳しい視線が根強くあるのは、再審無罪判決に原判決(死刑)の破棄がうたわれていないからと考えたのだ。「死刑判決が取り消されていない」と常々語っていた。再審請求ができるのは有罪の言い渡しを受けた者であり、再審無罪が確定し死刑判決の効力は失われているとして、免田さんの切実な訴えは退けられた。

 もう一つは、国に国民年金の支給を求めた。なぜ自分は年金がもらえないのか。免田さんの主張に、妻の玉枝さんも初めは「保険料を納めていないから、もらえないだろう」と思ったという。国民年金制度がスタートしたのは、獄中にいた1961(昭和36)年。年金のことなど知る由もなかっただろう。

 しかし、厚生労働省は原則論を盾に応じず、国会に動きが出るのは政権交代で民主党政権が誕生してから。その後も紆余曲折があって、2013年6月、やっと宿願だった国民年金が受給できる特例法が成立した。老後の生活保障ができた意義は大きかった。

 「これから(一人の)人間として付き合ってくれますか」。受話器から聞こえる喜びを抑えた声を思い出す。それまでも、そのつもりで付き合ってきたのに、なぜ改まって言うのだろうかと思ったが、「やっと人として認められた」という言葉に合点がいった。

 出棺の時、玉枝さんは「免田は空の上で死刑廃止の運動をすると思う。私はこっちで続ける」と語った。玉枝さんと出会い、二人三脚で歩いた36年。失った人生を少しは取り戻せただろうか。

(甲斐壮一/元熊本日日新聞記者)

(2020年12月19日公開)


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