「袴田事件」被害者の死因や死亡推定時刻は誤り/本田・筑波大教授が解剖鑑定書を検証


父親の解剖鑑定書(季刊刑事弁護105号より)の冒頭部分。

 1966年に静岡県で一家4人が殺害された「袴田事件」をめぐり、被害者4人の解剖鑑定書を本田克也・筑波大教授(法医学)が検証し、その結果を公表した。鑑定書は、4人のうち3人が刃物で刺されて出血したうえに火災によるやけどが重なって死亡したとしているが、いずれの気管にも煤煙を吸った痕跡はなく、火災の発生時には死亡していたと分析。死刑が確定した袴田巖さん(84歳)の犯行とするために、死亡推定時刻が恣意的に判定されたと見立てた。

 「袴田事件の解剖鑑定書をどう読み解くか」のタイトルで、1月20日発行の『季刊刑事弁護』105号に寄稿した。最高裁は昨年末に袴田さんの再審請求の審理を東京高裁へ差し戻したが、この事件の証拠の杜撰さが改めて浮き彫りになった。

火災発生時には4人とも死亡していた

 事件の被害者は、父親、母親、娘、息子の4人。解剖鑑定書に書かれた死因は、父親が「刺創による失血」、他の3人が「刺創による出血と火傷」だった。事件現場では火災が発生しており、袴田さんは4人を刃物で襲った後に証拠を隠滅するためガソリンの混合油をまいて火をつけたとされた。

 鑑定書によると、父親の血液中に一酸化炭素(CO)は検出されず、火災発生時には死亡していたと判断された。半面、他の3人には血液中のCO含有量が記され、火災発生の時点では生存していた証しとされた。

 しかし本田氏は、鑑定書に添付された気管内の写真から4人ともに「煤煙の吸入などまったくない」と指摘し、父親以外の3人も火災が発生した時にはすでに死亡していたと見立てた。父親以外の3人のCO濃度は測定方法が書かれていないうえに「20〜25%」などと曖昧で、当時の測定機器の状況も勘案して「血液の色から適当に判断した疑いがある」と断じた。

捜査情報に合わせた死亡推定時刻

 3人が火災時に生存していたと判断されたもう1つの根拠は、死亡推定時刻だ。鑑定書は、父親と娘について「1966年6月30日午前2時頃」と相当に絞り込んだ認定をしている。「午前2時頃」は火災の発生直後の時刻である。息子は「6月29日午後10時50分〜30日午前1時50分」、母親は「30日午前1時15分〜4時15分」とされた。本田氏は、午前2時前になるように「恣意的に記載されたのは間違いない」とみている。

 その理由として、被害者が焼損している場合、体温をはじめ死亡時刻の推定につながる「すべての指標が役には立たない」ことを挙げた。特に父親と娘については「焼損死体からこのような細かな死亡時刻が推定できるはずはない」と鑑定内容を否定し、「捜査情報に合わせただけであることは明らか」「アリバイのない人物(袴田氏)を犯人とするのに都合が良かったのだろうと思われる」と強く批判した。

最も傷が重いのは娘

 この事件では、袴田さんの「自白」をもとに父親が最初に襲われて死亡したとされ、事件の標的は父親だったというストーリーが導かれてきた。解剖鑑定書も、それを裏づける材料に使われてきた。

 しかし、鑑定書を見ると最も傷が重いのは娘で、前胸部を中心に刺されており、心臓、肺、肝臓への致命傷が4カ所あった。肺に達する刺傷が1カ所で、ほかは肋骨に当たって止められた浅い傷が数カ所あった父親とともに、背部から刺された痕はなかった。逆に母親と息子には内臓に達する刺傷はわずか1〜2カ所のみで少なく、背部への刺し傷が多い。

 本田氏は実際の死因も踏まえ、真犯人が寝ていた娘の胸部を数回刺して殺害した後、それに気づいた父親を前方から襲い、さらに逃げる母親と息子を背後から刺したと推定した。犯行の動機についても「娘への強い怨恨が疑われる」として、袴田さんの「現金を奪う目的」とした死刑判決の認定に疑問を投げかけている。

 4人とも肋骨によって止められた浅い傷が多いことから、当時30歳だった袴田さんの経歴を念頭に「プロボクサーのような腕力のある人間による傷とは考えにくい」と考察。「多くの刺傷は肋骨で止められていることから、力の弱い女性による犯人像も視野に含まれてくる」との見方も示した。

凶器とされたクリ小刀は傷と合致せず

 本田氏は凶器についても、死刑判決が認定したクリ小刀(刃渡り約13㎝)ではないと結論づけている。息子の鑑定書が示すように、犯行に使われた刃物は「先端から9.5㎝の位置での刃幅が1.7㎝以内」とみているが、クリ小刀はこの位置での刃幅が2㎝に達しており、クリ小刀より細身の小刀でなければ傷と合致しないだけでなく、クリ小刀の全長より全ての傷が浅いからだ。

 父親と娘の鑑定書は、傷からの凶器の推定を全くしないまま根拠もなしに「例えばクリ小刀または切り出しナイフ」と記載している。事件現場に落ちていたクリ小刀を意識したとみられ、本田氏は「非科学的な鑑定」と非難している。

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 本田氏は袴田さんの第2次再審請求審で、犯行着衣とされた「5点の衣類」のDNA鑑定を実施。袴田さんのものとされた血痕と被害者4人の返り血とされた血痕のDNA型が、いずれも袴田さんや被害者の型とは一致しないと判定した。

 静岡地裁は本田氏の鑑定結果を新証拠の1つと認定して再審開始決定を出したが、東京高裁は証拠価値を否定し、最高裁も昨年12月の決定で高裁の判断を支持した。ただし、最高裁の5人の裁判官のうち2人は本田氏の鑑定結果を新証拠と認め、再審を開始するよう主張した。

(ライター・小石勝朗)

(2021年02月12日公開)


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