
1984年に滋賀県日野町で酒店の店主が殺された強盗殺人事件の犯人とされ、無期懲役が確定し2011年に事実上の「獄死」をした阪原弘さん(享年75)が戦後2例目の死後再審となった「日野町事件」。再審の進行を協議する前の大津地裁、大津地検、弁護団による6回目の三者協議が10月15日に大津地裁(畑口泰成裁判長)で開かれた。
すでに有罪立証をしない方針の大津地検はこの日、これまで明らかにしなかった滋賀県警からの未送致分を含む57点の証拠を開示する意向を示した。協議後に萩原良典次席検事が会見したが、その証拠の理由は明かさなかった。
そこで、萩原次席検事が弁護団に対して説明した開示理由を紹介する。
〈検察官としては有罪の主張は行わず、立証のための新たな立証は行わないことなどから、公判における弁護人の防御の準備のために新たに証拠を開示する必要性は乏しいと考えているが、弁護人が証拠開示請求を維持する方針を示していることを踏まえ、証拠開示をめぐるやり取りを早期に終結させ、再審公判が迅速かつ適正に進められる、再審判決に至るよう弁護人の本年6月請求の証拠開示請求を踏まえ、証拠開示の要件にかかわらず、未送致となっていた証拠も含め下記(57点の証拠)のとおり開示する。なお、弁護側に求められていた爪、皮膚片は警察にも確認したが不見当である〉。
協議後に滋賀県教育文化会館(大津市)で、阪原弘さんの長男の弘次さん(65歳)と弁護団が会見した。
渾身の思いを語った阪原弘次さん
「娘の嫁ぎ先をがたがたにしてやる」との滋賀県警取調官の脅しに屈して虚偽自白してしまった父・弘さんを奪われた長男の阪原弘次さんは「すべての証拠が開示されることで父の無罪が明らかになり、冤罪を検証する力になる」と切り出し、いつになく思いを長く語った。
「『お前らだけは信用してくれ』と(任意捜査段階で)父が言ったあの時から、われわれ家族としてのこの事件が始まった。家族は父を犯人だと疑ったことは一度もない。『父ちゃんをあの監獄から出してあげるべきや』。そう思って闘ってきたら再審となりました。今日の三者協議で印象に残ったのは、裁判官が早いうちに結審したいとおっしゃったこと。検察官も一回の審理で結審をということをちらっと言いました。三者とも早期の再審判決を願っています。ただ、戦後二度目である死後再審の日野町事件の再審がどういう意義を持つのか。大崎、名張、狭山事件などある中、父・阪原弘がなぜ逮捕され、有罪判決を受けて死んでしまったのか。それを明らかにすることで、この後続く冤罪事件も再審無罪を勝ち取ってほしい」と話した。
さらに「検察は証拠を開示すると言ったが、すべてではない。7月に成立した再審法改正の議論では、当初の議連案にはすべての証拠の開示が盛り込まれていた。すべての証拠が出されて父の無罪が明らかになる。そして、それは日野町事件の検証にもなる。名張事件の奥西勝さんは犯人にされるためアリバイの時間がずらされた。大崎事件の原口(アヤ子)さんは事件ではなく事故の可能性があると闘っている。日野町事件が完全な証拠開示によって無罪判決を受け、数々の冤罪事件が無罪判決を勝ち取っていく。それが父の名誉回復、無念の払拭につながるはずです」と訴えた。
阪原弘次さんは今年、バス会社を定年退職し、全国の冤罪事件の支援に駆けつけている。
中身は明かさない証拠開示
弁護団の会見では、伊賀興一弁護団長が骨折で入院したため、石側亮太弁護士(京都弁護士会)が中心に説明した。
それによるとこの日の要点は三つ。
第一に訴因変更について。確定審の第71回公判で予備的訴因が追加され、それまでの自白を前提とした起訴状に書かれていた犯行時間帯や犯行現場がぼかされたことについて弁護側は「法廷外で裁判官(坪井祐子氏)と検察官(西浦久子氏)が話し合いで決めた違法なもの」と訴えていた。

旧弁護団は控訴審で違法と主張したが退けられた。のちに、毎日新聞のスクープで経緯が明らかになった。
石側弁護士は「再審で検察は有罪立証しないので、この予備的訴因を撤回するのかを現在の弁護団は求めていた。検察側は、撤回はしない、維持するとした。要は、有罪主張はしないが違法だと思っていないからひっこめないということ。検察が拠り所にしている控訴審判決は、再審決定によってもはや確定判決ではないので論理的にはおかしい」と話す。
二つ目は旧有罪証拠の扱い。検察は事実上、すべて撤回することを明らかにしている。前述の検察の発表では、弁護団が求めた任意提出の証拠含む57点の標目が示されたが、作成日と作成者を記したリストにすぎず、まだ中身はわからない。
石側弁護士は「非常に不誠実。別に証拠開示なんかしなくてもいいのに弁護人が開示しろと言っているから早く終わらせるために開示するという言い方。(弁護人は)当然出ているべきものが出ていないから出せと言っているのです」と怒る。
検察は、警察が送致していない証拠をすべて送らせる手続を取ったわけではない。
「法律的には送致手続が取られてなくても物理的には検察庁にある。検察がそれを見てこれは開示しようとしたものだけ送致の手続を取らせている。一覧表も出ず、結局全容がわからない。本来、開示の要件を満たさないような、本来出さないようなものもたくさん出しましたから終わりにしましょうと言っている。こちらは隠されているものがないかを検証する手段がない。未送致の全容もわからない。公益代表者として公明正大とは到底言えない」と批判した。
三つ目は開示証拠についてである。開示された証拠の中身はこれから弁護団が謄写などして検討する。
会見の質疑から概略する。
弁護団が求めた証拠は5項目。①目撃証言(阪原さんが犯行時間帯、店の近くにいたという証言)。②酒店出入り口の鍵(自白なら明け方に西側から金庫を持って出たとなる。開いてなくてはならないが、鍵は閉まっていたという目撃証言がある)。③丸い手鏡(被害者の店舗の机の引き出し内にあったもの。阪原さんの指紋が出たが常連客なので不思議はない。どういう経緯で付いたか)。④アリバイに関する証拠(事件当夜、知人方での宴会に参加している。事件翌年の1985年9月に奥さん〔艶子さん〕が語り、警察が初めて知る。ならば夫がいた場所に警察は行くはず。しかしそのアリバイ証言の初期供述が警察官の手控えも含めていまだにない。捜査機関が阪原さんのアリバイ証言潰しを行っていたことを示す証拠)。⑤爪と皮膚片の物証(被害者の遺体から出た爪と皮膚片は鑑定で真犯人に結びつく可能性があるが、検察の回答は不見当(みあたらない)。弁護団は爪と皮膚は科警研に送ったのではないか? と問うたが、科警研に送った書類がないからないと言うだけで科警研に確認していないという)。
④について石側氏は「ないはずがない」と語気を強めた。仮に警察・検察がアリバイ証言の供述記録を隠していたなら、証拠隠滅等罪(刑法104条)、虚偽公文書作成等罪(同156条)、公務員職権乱用罪(同193条)など犯罪行為である。
肝心な時期の証拠が抜けている
開示された証拠の大半が作成日付と作成者の名が書かれた犯罪捜査復命書(捜査報告書)のリストだった。「未送致証拠も含めて一覧化せよと求めているが応じないので証拠の全容が見えない。復命書作成日付は1985年1月6日が最初で、1988年3月まである。阪原さん夫妻が呼ばれたのは1985年9月17日。大事なのは、9月18日以降の目撃証言などの調書のはずですが、それがごっそりとない」と石側弁護士は不信感を見せる。
日野町事件は、滋賀県警の「アリバイ証言潰し」が顕著だ。当初、「阪原弘さんが知人宅で飲んでいて朝までそこで寝ていた」などの証言が次第に消えてゆく(詳細は、毎日放送〔MBS。大阪市〕の里見繁氏が2003年に制作したドキュメンタリー『消えたアリバイ』)。
最初期の復命書は、まだ殺人事件と判明していない時期のものだ。遺体発見は1985年1月18日。行方不明の段階で事件かもわからない。しかし、遺体が発見される前から捜査に動いていたという。石側弁護士は推測と前置きして「滋賀県警の前のめり姿勢は、当時グリコ・森永事件の失敗を批判されていたりし、大きな事件で頑張らねばということはあったのでは」と話す。
「(前回の)三者協議で拒否していたのに出すと言ったのは」と問われると、石側弁護士は主観と前置きして「ゼロ回答だと批判も強いと考えたのでは。出さなくてもいいのにたくさん出しましたと言って幕引きしたいのでは」。
阪原さんは「再審法改正が影響したのでは。全面開示には至らなかったが裁判官が証拠開示を命ずることができる、とある。これが力を帯びているのでは」と推測した。
「出すべきものは全部出す制度にしなくてはいけない。捜査機関がどんな証拠を集めて記録したかを残す制度が不備だからこうなる。爪と皮膚はこちらが特定したから不見当とした。検察庁は応答する義務はないと考え任意に開示するとしている。義務じゃないということなのです」と石側弁護士は話した。
訴因の変更について撤回とは具体的にどういうことなのか。なかったことにするのでは不自然な工作が後世に伝わらないのではと案じた。
それを筆者が問うと「撤回するというのは、過去の追加措置が取られたことがなかったことにする。訴訟行為なので撤回するということはあり得る。撤回されたら訴訟上はなかったことになる」と同弁護士は説明した。
阪原弘次さんは「冤罪ですから、有罪の証拠なんてあるはずがない。それを証明してほしい。日野町事件は早い段階で証拠目録が出ている。その中に爪、皮膚片が付いているポリプロピレンの紐がある。それが不見当というのは都合がよすぎる。検察が波風立たないように早期の判決公判にしたいのなら受け入れられない。引き当て捜査で有罪にされたが、それが噓(写真ネガの入れ替え)とわかった。その時点で無罪判決が出ていれば父は今も生きている。大津地裁の一審での訴因追加も追及していきたい。家族としては39年間闘い、父は亡くなった。家族は無罪判決がもらえればいいという気持ちも強いが、それでは事件の解決になるのか。何のために有罪になったかわからなくなる。検証してほしいのが家族の望み」と話す。
「母(艶子さん)が元気なうちの再審無罪」と「父の名誉のための真相究明」というジレンマの中で遺族は闘いつづける。
◎著者プロフィール
粟野仁雄(あわの・まさお)
1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部卒。共同通信記者を経て現職。著書に『サハリンに残されて』(三一書房)、『瓦礫の中の群像 阪神大震災』(東京経済)、『アスベスト禍』(集英社新書)、『「この人、痴漢!」と言われたら』(中公新書ラクレ)、『検察に殺される』(ベスト新書)、『ルポ 原発難民』(潮出版社)など多数。近著に『袴田巖と世界一の姉——冤罪・袴田事件をめぐる人びとの願い』(花伝社)、『狙われたトップメーカー——冤罪・大川原化工機事件の傷跡』(同社)。神戸市在住。
(2026年11月06日公開)