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「飯塚事件」で第2次再審請求/新証拠は「真犯人」にかかわる目撃証言

小石勝朗 ライター


第2次再審請求で記者会見する飯塚事件再審弁護団──徳田靖之(中央)、岩田務(左端)両弁護士および支援者の桜井昌司さん(右端)(2021年7月9日、福岡県弁護士会館)。

 1992年に福岡県飯塚市に住む小学1年生の女子児童2人(ともに当時7歳)が殺害された「飯塚事件」で、殺人罪などで死刑が確定し執行された久間三千年(くま・みちとし)さん(執行時70歳)の妻が7月、第2次再審請求を福岡地裁に申し立てた。「真犯人」にかかわる目撃証言を新証拠に据えている。証言が事実なら事件の構図が全面的に覆ることになり、死刑執行後の再審請求は異例の展開を見せている。

 飯塚事件では直接的な物証や自白がないまま、DNA鑑定や目撃証言などの状況証拠を積み重ねて久間さんの死刑判決が導かれ、2006年に最高裁で確定した。久間さんは捜査段階から一貫して犯行を否認していたが、2008年に刑を執行された。

 2009年に妻が起こした第1次再審請求では、再審無罪となった「足利事件」と同じMCT118型で行われたDNA鑑定の結果が実質的に証拠から排除されたものの、「それ以外の状況証拠を総合すれば久間さんが犯人であることについて高度の立証がされている」と判断された。最高裁第1小法廷(小池裕裁判長)は今年4月の決定で、弁護団が提起した多くの疑問点に向き合うことさえせずに請求を門前払いしていた。

(最高裁決定の内容については「刑事弁護オアシス」の拙稿「『飯塚事件』死刑執行後の再審、最高裁も認めず/弁護団の主張に向き合わないまま」をご覧ください)

軽自動車にランドセルを背負った女子児童

 事件が起きたのは1992年2月20日。登校中の午前8時半すぎに行方不明になった児童2人は、翌日正午ごろ、同県甘木市(現・朝倉市)の山中を走る国道沿いの崖下で、ともに遺体となって見つかった。確定判決では、首を絞められたのが死因で、殺害時刻は20日午前8時半~9時半の間とされた。同日午前11時ごろに、のちに児童の遺留品が発見される現場付近で久間さんの車と特徴が一致する車を見た、とする証言が状況証拠の柱になっている。

 第2次再審請求書によると、新たな目撃証言をしたのは福岡県内に住む男性Aさん(72歳)だ。2月20日の午前11時ごろ、飯塚市内の国道・八木山(やきやま)バイパスを車で走行中に、後部座席に小学生の女子児童2人を乗せた白いワンボックスタイプの軽自動車を見たという。児童2人が行方不明になった地点と近接した場所だ。

 運転していたのは30~40歳くらいの色白の男性で、坊主頭、細身の体形。児童のうち1人はオカッパ頭で、ランドセルを背負ってAさんを見つめており、恨めしそうな、うら寂しそうな、今にも泣きそうな表情だった。もう1人は横になっていて、そばにランドセルがあった。

 軽自動車は片側1車線の道路を時速40km以下でゆっくり走っており、後ろについたAさんはイライラしながら登坂車線で追い越した際に「こんな迷惑な運転をするのはどんな奴なのか」との思いで男性のほうを凝視したそうだ。

久間さんの初公判を傍聴し「別人で驚いた」

 Aさんは目撃した日の夜、飯塚市で女子児童2人が行方不明になったことをニュースで知った。平日の午前中にランドセルを背負った児童が車に乗っているのは不自然だし、表情から家族連れとも思えなかったので、不審に感じて翌朝、警察に通報。約1週間後に事情聴取を受けた。その際、警察官は手帳にメモを取っていたが、供述調書は作成されなかった。

 Aさんは、自分が目撃したのは被害に遭った児童であり、運転していた男性が真犯人だと確信していた。このため、福岡地裁での久間さんの初公判(1995年2月)を傍聴して同一人物かどうか直接確認したが、「まったくの別人で驚いた」としている。ただ、検察の冒頭陳述で「DNA型が一致した」と聞き、「自分の目撃は事件とは関係なかったのか」と気持ちをしまい込んでいた。

 今回、証言しようと考えたのは「DNA鑑定の結果が(再審請求審で)否定された」と2019年に地元紙の記事で知ったのがきっかけだ。「そうであれば自分が見たのはやはり真犯人だったに違いない」との思いが湧き起こった。この新聞社に連絡して取材を受け記事になったことで、弁護団とつながった。

「まさか誘拐では」と感じて強い記銘力が働く

 Aさんが弁護団に証言をした時点で事件から約28年が経っており、弁護団も再審請求書に「信用性の判断には慎重な検討が求められる」と記している。それでも「新証拠」と主張するのは、以下の理由からだ。

 Aさんは当日、100万円の売掛金が回収できなかった帰途でイライラし、さらに前方をノロノロと走行していた軽自動車にイライラして「どんな奴が運転しているのか」と運転手を注視しており、「単なる追い越し時の目撃にとどまらなかった」とみる。平日の午前中にランドセルを背負った子どもが車に乗っている状況を不審に思い、「まさか誘拐ではないか」と直感したことも挙げて、「強い印象を抱いた、つまり強い記銘力が働いた」と分析している。

 また、警察官の事情聴取を受けたり久間さんの初公判を傍聴したりと、Aさんが目撃内容を確認する機会がその後も反復しており、記憶が明確化されて維持されたと指摘している。

 目撃した軽自動車が向かっていたのは遺体発見現場とは違う方向だったが、弁護団はゆっくり走行していたことなどと併せて、運転していた男性が犯行の場所を思い迷っていたためではないかと見立てている。

「事件のことがずっと頭に残っていた」

 弁護団は7月9日、第2次再審請求の申立て後に福岡市で記者会見を開いた。主任弁護人の岩田務弁護士は、事件発生当時、Aさんが警察に通報しながら証言が無視されたことについて「警察はすでに久間さんを犯人にするのに都合が良い証拠だけを集めていた」と捜査を批判した。Aさんも同席し「事件のことがずっと頭の中に残っていた」と心情を吐露した。

 弁護団は2次再審で、久間さんの車と特徴が一致する車を遺留品発見現場で見たとする証言についても、関連する捜査報告書などの証拠開示を求めていく方針だ。この証言をめぐっては、目撃者の調書を作成した警察官がその2日前に久間さんの車を見に行っていたことが明らかになっており、証言内容を誘導した疑惑が浮上している。

 弁護団共同代表の徳田靖之弁護士は2次再審へ向け、Aさんが見たとする男性や児童が事件の当事者だと立証するための課題を挙げながらも、「状況証拠の柱になっている車の目撃証言の信用性を崩す中で、Aさんの新証言はアナザーストーリーにもなる」と説明した。

◎著者プロフィール
小石勝朗(こいし・かつろう) 
 朝日新聞などの記者として24年間、各地で勤務した後、2011年からフリーライター。冤罪、憲法、原発、地域発電、子育て支援などの社会問題を中心に幅広く取材し、雑誌やウェブに執筆している 。主な著作に『袴田事件 これでも死刑なのか』(現代人文社、2018年)、『地域エネルギー発電所──事業化の最前線』(共著、現代人文社、2013年)などがある。

*2021年9月4日(土)に「飯塚事件の再審を求める東京集会——第2次請求の支援を」がオンラインで開かれる。

**飯塚事件弁護団による『死刑執行された冤罪・飯塚事件——久間三千年さんの無罪を求める』がある。ここでは、第1次再審の即時抗告審(福岡高裁)までであるが、弁護団の主張と請求審の争点が整理されている。

(2021年08月27日公開) 


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