
NPO法人監獄人権センターは、今年で結成30周年を迎えた。5月10日、これを記念してイベント「監獄人権センター30周年──自由を奪われた人のために」が開催された。
第1部の特別記念講演では、「『あなたは、死なない限りここからは出られませんよ』──私が東京拘置所で受けた医療」と題して、KADOKAWA元会長・角川歴彦氏が、自身の体験を交えて刑事施設での身体拘束の実情を語った。
第2部では、「刑務所の過去・現在・未来」と題したディスカッションが行われた。監獄人権センター代表・海渡雄一弁護士、同センター事務局長・大野鉄平弁護士、同センターの姉妹団体として設立された、一般財団法人フロッグサークル財団理事の金古政利氏が、監獄人権センターの活動について報告した。
人権の本質が蔑ろにされる拘置所
角川氏は、2022年9月14日に東京五輪の大会スポンサー契約をめぐる贈賄の嫌疑で逮捕され、226日間にわたり東京拘置所で身体拘束されたという経験を持つ。「東京拘置所は自分にとっておぞましい存在で、正視することができない」としつつも、以下のように当時を振り返った。
まず、起訴された後に看守から「今日からあなたを囚人として扱います」と言われ、現実の刑事手続では「無罪推定の原則」が通用しないことを実感したという。そして、拘置所での生活には、深刻なプライバシーの侵害や人格の否定があったという。
消灯時間後に読書をしようとすると、24時間監視体制であったため、すぐに看守がやって来て禁止され、眼鏡も取り上げられた。加えて、拘置所では人の呼称が番号となるが、角川氏はこれに抵抗した。自らを「はち・ごー・ぜろ・いち・かどかわつぐひこ」と、必ず氏名を入れて名乗ったが、「8501番と言え」と命じられた。
さらに、刑事施設内での医療のあり方を正すことの必要性も強調した。医療を受けられる権利は人権の本質であると訴える。拘置所では病院の指示通りの投薬は受けられなかった。持病に加え、ストレスと寒さで身体が消耗するなか、拘置所に来た医師から「あなたは、死なない限りここからは出られませんよ」と告げられたという。
角川氏は現在、この世から人質司法をなくすための活動に取り組んでいる。その一つとして、「角川人質司法違憲訴訟」にて、自身がされた身体拘束は違憲・違法であったと主張している。
個々人に注目することが鍵
第2部の最初に海渡弁護士は、刑事拘禁制度改革と刑事施設内の人権状況の改善を目指した、監獄人権センターのこれまでの活動を報告した。主な活動として、「手紙相談」という被拘禁者との関わりを通じて、閉ざされた刑務所・拘置所に中の人々の声を聞き、施設側に対して、施設処遇上の改善・解決を支援してきた。
また、名古屋刑務所事件(2002年)では、革手錠の廃止、刑事施設視察委員会の設立、受刑者の呼称改善など改革実現の活動をした。さらに、国際人権団体と連携して日本における改革課題を追求してきた。
その後、30年目の課題を、4点にしぼって提言した。①個人を支えるなかで浮かび上がってくる政策的課題(たとえば、刑事施設での白内障の手術、運転免許証の更新など)の解決に取組む、②刑罰の過酷な実態を広め、社会復帰支援の世論づくりをする、③法務省・警察など政府機関への提言・協力しながら改革実行への政治的な動きを創る、④国会に対して医療改革・人質司法廃止など刑事拘禁制度の改革のためのアプローチを行う、である。
次に大野弁護士が、最近の活動を紹介したうえで、障害者差別やジェンダー差別など、いろいろな分野の視点を取り入れて、刑務所における問題の解決を目指していきたい、と展望を述べた。
最後に金古氏は、フロッグサークル財団の設立を報告した。同財団は、元受刑者、発達障害のある方、依存症のある方のサポートを行う組織だ。具体的には、絶対的に安心できる居場所の提供、人それぞれの持ち味を見極めること、社会からの受け入れによって自己肯定感を感じてもらうこと、の3点を目指すという。実現しようとする社会は、「すべての人が自己の力を発揮し、感謝と感動が循環する社会」である。
自らの「おぞましい」経験を見つめ、拘置所の実態を語る角川氏の言葉は、非常に重みのあるものであった。また、刑事施設法では、今年は、懲役刑と禁固刑が廃止され、あらたな「拘禁刑」の導入が開始される。刑の種類が変更される改正は、1907(明治40)年以来のことである。
監獄人権センターの目指すところでもあるが、刑事施設や処遇の実態を知るということが、刑罰制度においては人権を尊重する改革への第一歩であろう。
角川氏の活動については、角川歴彦『人間の証明──勾留226日と私の生存権について』(リトルモア、2024年)に詳しい。
(お)
(2025年05月16日公開)