菊池事件、熊本地裁が再審請求棄却、憲法的再審事由を認めず/日本の司法は死んだ!


「不当決定」の旗を掲げる弁護団。(2026年1月28日、熊本市の熊本地方裁判所前にて。撮影:刑事弁護オアシス編集部)

 1月28日、熊本地裁(中田幹人裁判長)は菊池事件の第4次再審請求を棄却する決定を下した。決定を受け取った弁護団は、裁判所前で「不当決定」「憲法的再審事由を認めず」と書かれた旗を掲げた。

 菊池事件とは、1951年、1952年に熊本県現菊池市で起こった殺人・殺人未遂事件である。1951年、村役場の衛生課職員の男性の自宅にダイナマイトが投げ込まれた事件で、男性によってハンセン病患者であると告発されたFさんが殺人未遂容疑で逮捕され、懲役10年の判決を受けた。そして1952年、Fさんが熊本拘置支所から逃走している間に男性が殺害され、Fさんが殺人等で起訴されて死刑判決を受けた。

 Fさんの審理は、すべてハンセン病療養施設や医療刑務所内に置かれた「特別法廷」において、実質非公開かつ差別的待遇のもと行われた。1962年、第3次再審請求が熊本地裁で棄却された翌日、Fさんの死刑は執行された(詳しくは、徳田靖之『菊池事件──ハンセン病差別の壁をこえるために』 を参照)。

 弁護団は、Fさんの遺族を請求人として、2021年4月に第4次再審請求を行った。弁護団は、特別法廷における審理は差別的待遇であり憲法14条1項違反であることや、人格権を侵害する憲法13条違反、裁判の公開原則に反する憲法37条1項、82条1項違反、弁護人選任権や証人審問権を侵害する憲法37条2項、3項違反であると指摘した。

 そして、これらが憲法98条(憲法の最高法規性)を根拠とする「憲法的再審事由」になりうると主張した。ほかにも、「実体的再審事由」として、犯行凶器に関する法医学鑑定と、Fさんから犯行を告白されたとする親族らの供述に関する供述心理学鑑定を新証拠として提出していた。

 決定書を受け取った直後、裁判所前で話をした徳田靖之・弁護団共同代表は、「このような決定を下しておいて、はたして裁判所は裁判所たりうるのか」と憤りを露わにした。弁護団はただちに即時抗告する意志を見せ、2月2日に抗告書を提出した。

憲法違反を認めるも「判決に影響なし」

 熊本地裁は、「確定判決の審理手続に重大な憲法違反があったことが判明し、当該憲法違反が確定判決の事実認定に係る重大な事実誤認を来す場合には再審を開始すべき余地がある」と、憲法的再審事由の枠組みに初めて具体的に言及した。その一方で、「確定判決の審理手続に憲法違反があったとしても、その瑕疵は必ずしも確定判決の事実認定に影響を与えるものではない」として、本件再審請求を退けた。

 決定書は、特別法廷における審理は「ハンセン病患者であるがためにされた合理的理由のない差別というべき」であるとして、憲法14条1項に違反すると認めた。またこのような合理性を欠いた審理はFさんの人格権を侵害するものとして、「憲法13条に違反する疑いが強い」とした。

 また、裁判の公開原則を定めた憲法37条1項および82条1項違反について、特別法廷の置かれたハンセン病療養施設や医療刑務所の正門や熊本地方裁判所の掲示場で開廷の告示がされ、一般国民が認識することは一応は可能であったとする。しかし、具体的な内容や設備は不明であるうえ、一般国民が傍聴することは当時のハンセン病隔離政策が行われていた社会情勢も考慮すれば事実上困難であり、憲法37条1項、82条1項に「違反する疑いがある」とした。

 しかし、確定一審の弁護人が、罪状認否において「別段述べることはない」と言ったことや、Fさんによる犯行を支える親族供述を含むすべての検察官請求証拠に同意しながら無罪主張を行ったこと、十分な反対尋問を行わなかったことに対する憲法37条2項、3項違反については、弁護人が Fさんとどのような打ち合わせをしたか不明であり、そのような方針を採ったと評価することもできるとして、憲法違反は認めなかった。

新証拠も再審事由に当たらず

 「憲法的再審事由」がクローズアップされがちだが、「実体的再審事由」として提出された新証拠の評価にも大きな問題がある。

 弁護団が提出した新証拠による「実体的再審事由」についても、一定の疑問を呈するものであることは認めながらも、核心部分の信用性を揺るがすものではないとして、刑訴法435条6号による再審事由にはあたらないと弁護団の主張を退けた。新証拠として提出された2つの鑑定に対しては、新規性と明白性についてのみ判断し、確定審の証拠との総合評価については踏み込むことを避けた。

 裁判所は、山本医学鑑定研究所の法医学者・山本啓一氏による凶器に関する鑑定に対しておおむね新規性を認めるものの、明白性は認めず、刑訴法435条6号のいう新証拠にはあたらないとした。

 山本鑑定は、事件当時の世良宗介教授(当時・熊本大学法医学教室)による鑑定が、被害者の肋骨の傷を「正鋭なる裁痕」と記載していることに着目し、「正鋭」とは幅を持たない傷であり、本件凶器とされた幅1mmの短刀とは整合しないとした。しかし、裁判所は、世良教授の鑑定に問題はうかがわれず、「正鋭なる裁痕」も凶器とされた短刀によるものとして矛盾しないとみるのが自然だと判断した。

 また山本鑑定は、被害者の創傷状態から、犯人の着衣に血液が付着するはずだと指摘するが、裁判所は実行行為の体勢などが不明であるため、血液が付着しなかったとしても一概に不合理とはいえないとした。

 また、京都大学大学院の大倉得史教授による「対立仮設検討型供述分析」による鑑定も、新証拠にあたらないと排斥された。裁判所は、「対立仮設検討型供述分析」という手法が、供述心理学の研究者の間において異論のないほど確立しているとは言い難いとした。そのうえで、親族の供述が変遷していることについて、時間の経過とともに記憶が曖昧になることもあり得るなど、弁護団の主張を退けた。

「日本の裁判所はこの程度のものなのか」──弁護団の怒り

記者会見を行う弁護団の徳田靖之共同代表(左から2番目)ら。(2026年1月28日、熊本市の弁護士会館にて。撮影:刑事弁護オアシス編集部)

 弁護団声明は、「本決定は、憲法違反の審理手続及びそれによってなされた誤った判決を是正することをしなかったという点において、憲法を遵守することを放棄し、また、事件本人及び広くハンセン病患者・元患者らの人間回復・人権救済を拒んだものと言わなければならない」と強く非難し、断固として抗議していく意志を示した。

 八尋光秀弁護団共同代表は、今回の決定について、「平等原則違反の捜査であり、裁判であり、死刑判決であり、死刑執行である、ということを前提としても、なお私たちの国の判決は守られるべきだという、とても問題がある決定」だと批判した。

 徳田弁護団共同代表は、本決定は「棄却するという結論を先取りして辻褄を合わせた決定」だと指摘した。

 そして、「日本の裁判所は、自分たちが一度犯した過ちを正面から認めて問いただすべきだという問いかけに、この程度の答え方しかできないのか。司法の場に身を置く者として、怒りを超えて恥ずかしさを覚える」と糾弾した。

 一方、「重大な憲法違反があり、なおかつそれが事実認定に重大な影響を及ぼす場合」には再審を開始する余地があるという枠組みを明示したこと自体は評価すると述べたが、「その枠組みはあまりにも狭すぎる」と指摘した。しかし、その上でも、本件は事実認定に重大な誤りがあると主張した。

 特に、憲法13条、14条は「憲法の骨格」であり、「なぜ重大な憲法違反ではないのか。13条、14条はその程度のものですか?」と裁判所に対して問いかけた。

 さらに、憲法37条3項違反が認められなかったことに対して憤りを見せた。これを認めてしまえば事実認定に影響があったとして再審事由になりうると指摘し、「目の前で被告人が無実であると言っているのに、有罪立証にすべて同意した上でなおかつ無罪を争うなんて考えの弁護人はいませんよ」と語気を強めた。

 また、本件再審請求の請求人であるFさんの遺族も高齢であることに言及し、今回再審開始決定を勝ち取れなかった無念を口にした。そして、「どんなに長く苦難に満ちた闘いでもFさんの無実を明らかにするまで最後まで闘いたい」と決意を明らかにするとともに、福岡高裁に即時抗告すると言明した。

「さあ、こっからばい!」──ハンセン病元患者らの闘い

 全国でハンセン病問題と闘い続けてきた市民の方々も多く熊本に駆けつけた。市民らは、決定が下される前日の27日に行われた市民集会や、裁判所前で行われた門前集会などで思いを口にした。

 棄却決定が下された直後、裁判所前で、ハンセン病違憲国賠訴訟全国原告団協議会会長の竪山勲さんは、「我が国の司法は死んだ。憲法違反で人を殺していいなんて馬鹿なことがありますか。我が国の憲法を司法の世界が踏みにじってどうするんですか」と声を荒らげた。

 弁護団が「不当決定」の旗を出したときには市民らから落胆の声が上がったが、しばらくして、市民らは裁判所に向かって「不当決定を許さないぞ!」と拳を突き上げた。

 菊池事件国民的再審請求人団の再審棄却決定を受けての声明は、「さあ、こっからばい!」と述べ、Fさんの無実を証明するために闘い続けると力強い言葉で結んでいる。

 1907年に明治政府が法律第11号「癩予防ニ関スル件」を公布してから、1996年に「らい予防法」が廃止されるまでのおよそ90年間、ハンセン病患者への強制隔離政策は続けられてきた。

 「らい予防法」廃止後の、ハンセン病をめぐる市民の闘いは20年以上に及ぶ。1998年、国立ハンセン病療養所の星塚敬愛園(鹿児島県鹿屋市)と菊池恵楓園(当時・熊本県菊池郡合志町) 入所者13名が立ち上がり、熊本地裁に「『らい予防法』違憲国賠訴訟」を申し立てた。これを契機に、全国のハンセン病療養所入所者らも国賠訴訟提訴に踏み切った。

 2001年5月11日の熊本地裁判決(LEX/DB28061048)は、ほぼ全面的に原告らの主張を認め、隔離政策や強制労働、断種・堕胎等について違憲性を認定した。これに対して、小泉純一郎総理大臣(当時)が控訴を断念し、判決が確定した。

 2016年には、ハンセン病元患者団体らの要請を受け、ハンセン病を理由とした特別法廷の設置の正当性について、最高裁が調査報告書を提出した。最高裁は、特別法廷における審理は差別的待遇だとして、憲法14条1項違反を認め謝罪した。

 さらに、その後元患者団体らが提訴した菊池事件の国賠訴訟において、2020年2月26日の熊本地裁判決(LEX/DB25585269)は、憲法13条、14条1項違反を認め、また37条1項、82条1項にも違反する疑いがあるとして、最高裁報告書よりもさらに踏み込んだ判断を下した。

 2020年には、市民ら1205人が、憲法16条の請願権に基づく「国民的再審請求」を熊本地裁に申し立てた。このような市民らの動きによって、Fさんの遺族も再審請求に踏み切ったと言われている。

菊池事件が問いかけるもの

 27日の市民集会では、特別法廷を何度か傍聴し、Fさんと面会を重ねた教誨師の故・坂本克明さんに2015年に最高裁が調査を行った際の映像が上映された。

 坂本さんは、裁判官、検察官、弁護人は白衣を着て、証拠は竹箸で扱われたと証言する。また弁護人は「『こういう病人ですから情状酌量してください』と決まりきった文句を言うばっかりだった」と述べた。裁判の告知は医療刑務所の外壁に貼られていたそうだが、傍聴人はおらず、人通りもないため、掲示を見るのは困難だったという。

 坂本さんは、ハンセン病患者は「虫けらのごとく」扱われていたと言う。裁判所職員の発言で覚えている言葉として、「どうせこやっどんは非人だけん」という発言を挙げた。

 同集会において、徳田弁護団共同代表は、「菊池事件はハンセン病隔離政策による偏見と差別が生み出した冤罪で、無らい県運動というものがなければ起こることがなかった。そしてその運動の主体を担ったのは、私たち一人ひとりの市民だった」と硬い表情で語った。

 また、死刑が執行されてしまった再審という点において「私たちの国の司法を変える闘い」であり、かつ「裁判所がハンセン病隔離政策に加担してしまったという過ちをただす闘い」であると述べた。

 さらに、菊池事件は、死刑が執行されてから半世紀以上、法曹界を含むわれわれ社会全体が関心を持つことなく、闇に葬られた事件であるとして、「加担した私たちの側の責任が問われる闘い」であると自戒を込めて語った。

 Fさんは、逮捕から裁判、死刑判決、執行に至るまで、ハンセン病への偏見により差別され、人間としての尊厳を否定され続け、挙げ句の果てに半世紀以上歴史の闇に葬り去られていた。その一端を担ったのは私たち一人ひとりでもある。そして、現代においてもハンセン病問題は決して終わっておらず、今も根強い差別を受け、表に立つことが困難な元患者や家族も多い。

 菊池事件の再審請求は、Fさんの雪冤を晴らすという目的はもちろんのこと、私たちにハンセン病差別への反省を促すとともに、死刑制度の是非や憲法の意義について、改めて問いかけるものである。

 残念ながら、今回の再審請求は棄却されたが、これからも弁護団、市民らによる闘いは続く。決定翌日、Fさんが入所していた菊池恵楓園の歴史資料館を訪問し、展示を見ながら、私たち一人ひとりにとって、菊池事件とどう向き合うかという姿勢が今問われていると改めて感じた。

(中)

(2026年02月04日公開)


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