
上田大輔監督のドキュメンタリー映画『揺さぶられる正義』が9月20日(土)より、東京、大阪などをかわきりに全国で劇場公開される。監督は、関西テレビの報道局ディレクターとして、数々のドキュメンタリーを制作している。とくに、『ふたつの正義』(2018年)、『裁かれる正義』(2019年)、『引き裂かれる家族』(2023年)の「検証・揺さぶられっ子症候群」シリーズはギャラクシー賞を受賞するなど国内外で高い評価を受けている。この作品は、その3部作の集大成で、初めての劇場公開映画である。
日本では、2010年代以降、乳幼児が家で急変し、搬送された病院で医師がSBSと診断すると、一緒にいた家族が児童虐待したと疑われ、警察に通報され刑事事件に発展することが相次いだ。その根拠となったのが、SBS(Shaken Baby Syndrome)仮説で、乳幼児を激しく揺さぶることによって脳内に損傷が起こるというもので、主としてアメリカで発展してきた。日本では、児童虐待を扱う小児科医らを中心に広まった(詳しくは、『赤ちゃんの虐待えん罪 ──SBS(揺さぶられっ子症候群)とAHT(虐待による頭部外傷)を検証する!』を参照)。

監督がSBS事件を取材するようになった切っ掛けは、記者となった1年目の2017年4月、後にSBS検証プロジェクトを立ち上げることになる秋田真志弁護士と笹倉香奈教授が登壇した研究会に参加したことだ。そこでは、秋田弁護士が、SBS事件で逮捕・起訴の決め手とする医学鑑定に根拠がなく、冤罪だと力説していた。監督も当時、乳児の育児中で、その話を聞いて、背筋が凍る思いがしたという。同時に、SBSの揺さぶりは1秒間に3往復という激しいもので、そんなことが可能なのかという違和感を覚えた。
「当時、児童虐待においては、冤罪はほとんど考慮されていなかったということにも恐ろしさを感じます。この分野は、子どもを守る、虐待を防がないといけないという正義がすごく語られていて、そのために疑わしければすぐに子どもを保護すべきと喧伝される一方で、児童福祉の世界に冤罪という言葉がないということに驚いた」。

このまま行けば、被告人や弁護人の活動を取材し記録した冤罪事件のごく普通のドキュメンタリーに仕上がることは予想された。しかし、検察側の証人である小児科医と監督の偶然の出会いがそれを大きく変える。
「中立性を求められるマスメディアの報道では、冤罪ってなかなか伝わらないですね。児童虐待の分野で冤罪の訴えをそのまま伝えたところで、思うようには伝わらないだろうと感じていました。そこで、冤罪をなくす正義と、虐待をなくす正義、その2つの対立の見取図を示したいと思い、『ふたつの正義』というドキュメンタリーを作りました」。
2つの正義がぶつかったとき、どう判断すればよいか。弁護人や医師らの発言を丁寧に拾って、見る者にその判断の材料を提供する作品となっている。
「正義という言葉に惹きつけられるものがありますが、同時に怖さもあるなと思います。弱い人の立場を解決しようという意味で使われるものが本来の正義という言葉だと思います。でも、みんながそれぞれの正義を掲げます。語る人も、それを聞く人も、何かしらの正義を取り入れ、取り込まれていく。この映画を撮っている自分自身もそういうところがあったかもしれません。正義には多義性があり、暴走しやすい面もあるわけで、その怖さも感じさせられました」。

刑事裁判では、被告人・弁護人が訴える正義と検察の正義の2つが対立する。どちらか判断をしなくてはいけないときに、監督はどう考えるか。
「刑事裁判においては、『疑わしきは罰せず』が原則です。そこは絶対譲れないと思います。その意味では、映画に登場した事例では、裁判官が『疑しきを有罪』にしていたので、本当にひどい判決だなと思いました。
他方、マスメディアでは裁判になると急に『公平に』という視点が前面に出てきます。検察側の主張はこう、弁護側の主張はこうと示すのが報道の型として決まっています。でも、それでいいのか。制度や運用面から全体を見たときに、刑事裁判においては非常に検察側に偏っていると思うんです。たとえば、強制捜査で収集した証拠を検察が持ち続けたままで開示が不十分だとか、弁護側の請求証拠はなかなか採用されなかったりとか。検察立証を信用しようとする裁判官が多いのも現実です。このように制度や運用自体に偏りがあって、そこに構造的な不公平があると思います。こうした刑事司法の問題をまず知ってほしいですね」。
SBS事件を扱うマスメディアは、他の事件報道と同様に警察発表に基づいて被疑者・被告人を実名で報道している。作品の中では、事故の悲しみにくわえ、マスコミの攻撃が辛かったと訴える被告人の父親の言葉に返答に窮する監督が映し出される。
「被疑者・被告人や弁護側から見ると非常に偏った構造のなかで、そのまま双方の主張を報じることが、本当に公平な報道かといえば、僕はそうは思わないです。既に逮捕報道は大きく報じられていますし。元々不公平であることをふまえて報道するのが、正しい権力監視、司法監視なのではないかなと思っています。袴田再審無罪判決に対して検証もしないまま『判決は到底承服できない』という検事総長談話を出すような検察に対して、厳しい目を向けようとしないのであれば、あるべき報道の姿ではないと思います」。
監督は刑事裁判とマスメディアの現状について熱く語る。それは監督の来歴が影響しているのだろう。刑事弁護人にあこがれて司法試験に挑戦して、ようやく30歳手前で合格。このころには有罪が当たり前の刑事裁判に絶望し、「苦行」のような刑事弁護人の道を歩むことに自信をなくしていた。そのため、関西テレビには著作権法の知識を活かす社内弁護士として入社する。しかし、刑事弁護から逃げた後ろめたさが消えなかったのか、7年後、自ら志望して記者に転身。
取材を重ねるうちに、監督には、刑事司法の問題に切り込むために、記者になったのに、「今、冤罪を作る側にいるのかもしれない」という疑問が脳裏をよぎる。作品では、マスメディアの事件・裁判報道の現状と自分の考えとの葛藤が、監督に投げかけられる被告人らの言葉と取材中の監督の姿を要所要所で映すことで展開していく。2時間という上映時間は短いとさえ感じる。
「一回、こいつ黒なんやなって思われたら白に塗り替えるのは無理やと思う」。逆転無罪判決を受けた今西貴大さんの言葉で、この作品は終わる。本当に揺さぶられたのはどの「正義」なのか。見る者の胸に迫ってくる。
◯『揺さぶられる正義』2025年|日本|129分|DCP|ドキュメンタリー
◯スタッフ
・監督:上田大輔
・プロデューサー:宮田輝美
・撮影:平田周次
・編集:室山健司
・音声:朴木佑果、赤木早織
・音響効果:萩原隆之
・整音:中嶋泰成
◯製作:関西テレビ放送
◯配給:東風
◯公式サイトURL
https://yusaburareru.jp
◯公開スケジュール
2025年9月20日(土)より[東京]ポレポレ東中野、[埼玉]イオンシネマ大宮、[大阪]第七藝術劇場、[京都]京都シネマ、[兵庫]元町映画館ほかにて公開。以降、全国順次公開。
(な)
(2025年09月17日公開)