〈袴田事件〉袴田巖さんが6億円余の賠償を求め提訴/警察と検察、裁判所の違法と責任を問う(上)

小石勝朗 ライター


国賠訴訟の提訴へ向かう袴田巖さんの弁護団(2025年10月9日、静岡地裁前、撮影/小石勝朗)

 袴田事件(1966年)でいったん確定した死刑判決が再審(やり直し裁判)で覆り、1年前に改めて無罪が確定した元プロボクサー袴田巖さん(89歳)が10月9日、警察と検察、裁判所に違法があったとして、国と静岡県に6億840万7,602円の賠償を求める国家賠償請求訴訟を静岡地裁に起こした。

 同地裁の再審無罪判決は、袴田さんの犯行着衣とされていた「5点の衣類」などについて捜査機関による「3つの捏造」を認定した。袴田さんの弁護団は今回、捜査、取調べ、起訴、捏造、裁判所の5つのテーマを設けて多角的に訴状を構成しており、中でも誤判をした裁判所の責任を正面から問うているのが特徴だ。弁護団は「無罪判決で触れられなかった違法行為も明らかにして、冤罪の原因や教訓をあぶり出したい」と訴訟の目的を説明している。

裁判所は確定審で「きわめて重大な過失」

 「袴田さんを艱難辛苦に陥れ、最終的には精神に回復し難い損害を与えた刑事手続に関与したすべての司法機関の責任が問われなくて良いはずがない」「本件では裁判官が正しい事実認定をしていれば袴田さんはもっと早くに救済されていた」

 弁護団は訴状の「はじめに」にこう記し、警察、検察だけでなく裁判所の違法と責任を認定するようアピールした。

 具体的には、確定審(1966~1980年)の1審・静岡地裁判決が5点の衣類を袴田さんの犯行着衣と判断して死刑判決の根拠としたことを「きわめて重大な過失」と指弾した。理由として、①事件発生から1年2カ月も経ってから、見つかる可能性が高い使用中の味噌タンクで発見された、②長期間味噌に漬かっていたにしては生地に元の色合いがはっきり残っていた、③袴田さんのパジャマにも同様に右肩に損傷がありB型の血が付いていた——など5点の衣類が「捏造証拠であることを推認させる事実をまったく無視」したことを挙げた。

 また、2審・東京高裁は、5点の衣類のズボンの装着実験を3回実施したところ、袴田さんには小さくてはけなかったにもかかわらず死刑判決を維持しており、「1審の事実誤認をさらに拡大再生産した誤判」と非難。最高裁も「下級審に迎合し、その誤判を正すことはなかった」とし、「重大な過失が認められる」と断じた。

再審請求審では「審理不尽」や「訴訟手続の法令違反」

 第1次再審請求審(1981~2008年)をめぐっては、1審・静岡地裁が棄却決定までに13年余も要しながら、検察に証拠開示を促したり5点の衣類の血痕のDNA鑑定などの事実調べをしなかったりしたことを「審理不尽」と問題視した。

 また、2審・東京高裁が袴田さん側の「証拠捏造論」を「何時誰がおおよそどのようにして捏造したのか、その具体的な内容の主張すらできないでいる」と切り捨てたことに対し「再審請求人は確定判決の認定に合理的な疑いを生じさせれば足りる」と反発し、「法令解釈の誤りに基づく訴訟手続の法令違反」と立論した。最高裁に対しても「自ら審理不尽を犯し事実を誤認した」と咎めた。

 第2次再審請求審(2008~2023年)では、2審・東京高裁で袴田さんの取調べの様子を録音したテープが証拠開示され、警察が取調室で排尿させていたことや弁護士との接見を盗聴していたことが明らかになった。しかし、高裁は「取調べ状況から5点の衣類の捏造を結び付けることは、かなり論理の飛躍がある」と顧みず、1審・静岡地裁の再審開始決定が新証拠と認定したDNA鑑定と味噌漬け実験の信用性を否定して逆転の請求棄却決定を出しており、訴状は「論理則・合理則・経験則に違反する違法があった」と言い切った。

5点の衣類以外の問題点も詳細に提示

 捜査の問題点としては、再審判決が無罪の決め手とした「5点の衣類とズボンの端切れ(共布)の捏造」を改めて主張の柱の1つに据えた。

 衣類に付着した血痕には赤みが残っていたが、1年以上味噌に漬かっていれば赤みは残らないことを化学的機序とともに検証実験で証明した法医学者の鑑定書を、再審に続いて証拠として提出。これをもとに「5点の衣類は発見の少し前に隠された」と論理展開したうえで、袴田さんの実家での発見経緯が不自然なズボンの共布とともに「捜査機関によって捏造された証拠だ」と、再審判決も引いて重ねて強調した。

 同時に、それ以外の問題点も詳細に提示した。再審では5点の衣類が争点になり、他の証拠に踏み込む必要がなかったため、弁護団は訴状に「捜査にまつわる問題は全く表に出ないまま、あるいは解明されないまま残されてしまった。本件の真相や真犯人像も明らかにならず、なぜ袴田さんを犯人とする方向で捜査が進んでしまったのかも明らかにならなかった」と理由を記した。

意図的に捜査しなかった事項も

 警察(静岡県警)が袴田さんと犯行を結び付けるため他にも証拠を捏造したと主張し、①5点の衣類が発見されるまで犯行着衣とされていた袴田さんのパジャマに他人の血が付いていたとする虚偽の鑑定書を作成した、②被害者宅にあった現金入りの袋2つを、袴田さんが住込みで勤めていた味噌工場との間に置いた、③事件現場で見つかった工場の雨合羽のポケットに、凶器とされたクリ小刀の鞘を入れた——などを並べた。

 また、真犯人につながる事実や証拠を隠蔽しようと「通常警察の捜査が行われるべき事項について、捜査が行われなかったり捜査の結果が隠されたりしていると考えられるところが多数ある」との見方を示した。かんぬきが掛かっていた可能性が高いのに袴田さんが犯行後に通ったとされた被害者宅の裏木戸の状況、台所の包丁がなくなっていたこと、4人の被害者の遺体に見られる拘束の痕跡や傷の生成原因などについて詳述した。

 警察の取調べも「非人道的」と厳しく批判している。残暑の時期に空調がない狭い部屋で食事や水分も十分に取らせないまま、取調べが逮捕から起訴まで1日平均12時間、最長で16時間超に及んだこととともに、証拠開示された録音テープで明らかになった供述の強要・誘導、取調室での排尿、弁護士との接見の盗聴などを列挙。取調べに当たった警察官はこうした状況について裁判で偽証していたとも指摘した。

検察は「証拠もないまま起訴した」

 検察の違法としてもまず取調べを取り上げ、初めから袴田さんを犯人と決めつけて供述を強要するなど「警察官の違法な取調べと連携して虚偽自白に追い込んだ」と糾弾した。確定審は1通だけ証拠採用した検事調書をもとに事実認定しており、「その結果、袴田さんは死刑判決という有罪判決を受けた」と責任の重さを問うた。ちなみに、再審無罪判決もこの検事調書を「3つの捏造」のうちの1つに認定している。

 起訴についても、犯行の時間・場所・態様、動機、被害者宅への侵入方法、凶器、被害者と格闘に至った状況などの重要な事項が起訴状では曖昧なままで「公訴事実を証明するに足る証拠もないままなされた違法、不当なもの」だったと力説した。

 さらに、裁判で5点の衣類をめぐり、生地の緑色がはっきり分かるブリーフのカラー写真を証拠提出・開示しなかったことや、ズボンのタグの「B」が色を表すとの証拠を隠してサイズを示すと繰り返し主張したことを問題視。再審で有罪立証をしたことに対しても「立証責任を果たせる見通しもないのに袴田さんを二重の危険に晒し、さらに鞭打つ行為以外の何物でもなかった」と戒めた。

(「下」では、賠償請求額の内容と、提訴後の弁護団会見の様子を取り上げます。) 

◎著者プロフィール
小石勝朗(こいし・かつろう) 
 朝日新聞などの記者として24年間、各地で勤務した後、2011年からフリーライター。冤罪、憲法、原発、地域発電、子育て支援、地方自治などの社会問題を中心に幅広く取材し、雑誌やウェブに執筆している 。主な著作に『袴田事件 これでも死刑なのか』(現代人文社、2018年)、『地域エネルギー発電所──事業化の最前線』(共著、現代人文社、2013年)などがある。


【編集部からのお知らせ】

 また、本サイトで連載している小石勝朗さんが、2024年10月20日に、『袴田事件 死刑から無罪へ——58年の苦闘に決着をつけた再審』(現代人文社)を出版した。9月26日の再審無罪判決まで審理を丁寧に追って、袴田再審の争点と結論が完全収録されている。

(2025年10月23日公開)


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