『少年法入門』


保護か厳罰かではなく、「健全育成」の神髄を貫く「哲学」を語ろう

1 少年法とどう向き合うか

 本書は、「少年法の理論・制度をできるだけわかりやすく説明するとともに、私が実際経験した事件等の実情のほか、諸外国の制度・運用を含む『少年法』の実像を紹介する」(はしがき)新しい少年法入門書である。少年法が、施行以来70年を超えて5回にわたる改正を受けながらも、第1条の目的に掲げる「少年の健全育成」とその背後にある保護原理は手つかずの状態にある。これは、保護か厳罰かという二極対立の磁場に捕らわれた少年法にとって、厳罰化に関わらず燦然と輝く希望の北辰なのか、それともボロ隠しのイチジクの葉なのか。類書ともいうべき澤登俊雄『少年法』(中公新書、1999年)は、「北辰」機能を前面に据えた思索と比較法の「精華」であったが、本書は、少年法の二面を保護・教育の機能と犯罪対策の機能と捉えた上で、双方の調和を求める「中間的な立場」に立つ(8〜9頁)。

 本書は、明治以来の法制を探求しつつ、現行少年法が非行少年に対する処遇決定の手続としてはより優れたものとなった一方で、非行事実の認定手続きが未整備であったと総括し(156頁)、4次にわたる改正を肯定的にとらえている。なるほど「少年の健全育成」が保護処分優先主義に直結するといい(18〜19頁)、少年審判手続きや少年の刑事手続の丁寧な説明は、「少年法は甘すぎる」というありがちな「誤解」を解くのに有用である。また豊富な海外視察を含む外国の法制研究は、未来展望として効果的である。とりわけフランスの「教育保護技官(エデュカトゥール)」の積極的な評価(151頁、212頁)は共感を覚える。さらに非行少年の問題全般に関わる機関、司令塔となる機関がないという指摘(211頁)は鋭く、25歳までを「若年者」として扱うことも将来の検討課題として掲げている(204頁)。しかし、これらの指摘と少年法の目的規定との関係は、明らかではない。

2 第5次少年法改正の功罪

 第5次改正少年法(令和3年5月28日法律47号)は、厳罰か保護かという二極をめぐる争点に関わる。廣瀬氏は法制審専門部会の委員として、少年法の適用年齢の引下げがやむを得ないとしても、全件送致主義を維持し、18・19歳の者に刑罰以外の「新しい処分」を課す場合でも、保護観察に実効性がないことが判明した場合には、施設収容を課すことができるような工夫を強く求めた。部会審議は、徐々にこの廣瀬説に接近し、成案を得た。さらに法案は18・19歳の者を「特定少年」として少年法の対象に止めておきながら、実質的には「侵害原理」にもとづき、18歳未満の「少年」とは異なる「特例・特則」を設け、衆参両院の法務委員会でそのすべての論点に「附帯決議」がつけられたものの、一切の修正を認められず、原案通り可決された。不思議なことに「附帯決議」で問題視された論点でも、本書ではほとんど触れられていないものがある。たとえば、特定少年が刑事裁判所に起訴された場合には推知報道が解禁される(204頁)が、インターネット掲載による弊害への対処やインターネットの悪用による人権侵害に対処することや被害者とその家族・遺族への配慮が必要なことを附帯決議は指摘している。ところが、本書にはこのようなきめ細かな配慮は記されていない。

3 哲学を語ろう

 中庸の理を説く論法はそれなりに説得的であり、海外の法制度の紹介は有益であり、著者が描く少年法の未来の展望も、決して悲観的な少年法「抹殺諭」ではなく、むしろこれを克服しようと試みている点には、共感を覚えることもできる。

 しかし、子どもの権利条約への言及がほとんどないのは、どうしてなのか。まして、子どもの権利委員会の一般的意見12号は、18歳を超える者にも少年法のような特別の仕組みを伸延する国の制度(日本の制度もこれにあたる)を積極的に評価している。これは傾聴に値する意見ではないのか。保護か厳罰かという二項対立ではなく、これを「止揚する」中庸の理を説くのであれば、子どもの権利条約の履行監視機関である子どもの権利委員会(日本の大谷美紀子氏が委員長に就任した)との「建設的な対話」は欠かせない。

 確かに本書も、非行少年も含めて関係者のそれぞれが人権を保障され、個人として尊重されると明言している(214頁)。しかしそうであれば、非行少年は処遇のあらゆる局面で「説得」と「合意」を求められるべき主体ではないのか。そもそも保護か厳罰かという問題設定自体が、非行少年の主体性を認め、権利ベースの少年法のあり方を探求する志向から見れば、違和感がある。非行少年も権利主体と認める「主体性の哲学」は、確かに「狭く厳しい入口」である。しかしこの「狭き門から入れ」(マタイ伝福音書7章13節)というのが現代の黄金律である。子どもの権利条約の成長発達権は、まさにその中核にほかならない。その意味でも、「健全育成」の神髄を貫く「哲学」が語られなければならない。

新倉修(にいくら・おさむ/青山学院大学名誉教授・弁護士)

■関連書
・片山徒有ほか編『18・19歳非行少年は、厳罰化で立ち直れるか』(現代人文社、2021年5月)
・葛野尋之ほか編著『少年法適用年齢引下げ・総批判』(現代人文社、2020年2月)

(2021年08月04日公開) 


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