〈飯塚事件〉「真犯人目撃」の男性を証人尋問、死刑執行後の再審実現のカギに/第2次請求審で初の事実取調べ

小石勝朗 ライター


証人尋問を終え記者会見に臨むAさん(右)と久間三千年さん側の弁護団(徳田靖之弁護士〔中央〕、岩田務弁護士〔左〕)=2023年5月31日、福岡市中央区の福岡県弁護士会館、撮影/小石勝朗

 1992年に福岡県で起きた「飯塚事件」をめぐり、死刑を執行された久間三千年(くま・みちとし)さん(執行時70歳)の妻が申し立てた第2次再審請求で、福岡地裁(鈴嶋晋一裁判長)は5月31日、久間さん側の弁護団が新証拠と主張する目撃をした男性Aさん(74歳)の証人尋問をした。

 Aさんは、殺害された小学1年生の女子児童2人(ともに当時7歳)が連れ去られた当日、2人とみられる女児を乗せた軽自動車と遭遇し、久間さんではない男が運転していたと証言した。死刑判決では、Aさんの目撃と同じ時間帯に遺留品の発見現場そばで久間さんの車を見たとする別の証言が証拠の柱になっており、Aさんの証言への評価が、前例のない死刑執行後の再審が実現するかどうかのカギになりそうだ。

証拠リストの開示勧告を検察は拒否

 地裁が今年3月に証拠リストの開示を勧告したものの、検察が5月に拒否していたことも分かった。

 弁護団によると、検察は「裁判所にそうした勧告をする権限はなく、事案の解明に意味がない」と理由を挙げているという。弁護団は久間さんに有利な証拠が隠されていたり埋もれていたりする可能性があるとして、地裁に開示命令を出すよう申し立てるなど引き続き証拠開示を強く求める。

 「大きなヤマ場を越えつつある。今日の証言で再審請求は前進した」。第2次請求審で初めての事実取調べとなった証人尋問を終えて、弁護団共同代表の徳田靖之弁護士は強調した。地裁の対応について「それなりに弁護団の主張に耳を傾けている。証拠開示勧告と合わせて、正面から取り組んでくれている」との感触を示し、死刑執行後の再審開始決定に期待を寄せた。

DNA鑑定は実質的に証拠から排除

 飯塚事件の発生は1992年2月20日。福岡県飯塚市の小学校へ登校中の女子児童2人が行方不明になり、翌日正午ごろ、同県甘木市(現・朝倉市)の山中を走る国道沿いの崖下で、ともに遺体となって見つかった。首を絞められたのが死因とされた。

 殺人と誘拐、死体遺棄の罪に問われた久間さんは捜査段階から一貫して犯行を否認しており、直接的な物証もないため、死刑判決は状況証拠を積み重ねて導かれた。しかし、そのうちの1つのDNA鑑定は、鑑定結果の誤りが判明して再審無罪になった「足利事件」と同時期に同じ機関が同じ手法で行っていたため、第1次再審請求審で実質的に証拠から排除された。現時点では、2月20日午前11時ごろに、のちに児童の遺留品が発見される現場のそばで久間さんの車と特徴が一致する車を見た、とするX氏の証言が状況証拠の核になっている。

 死刑判決は2006年に最高裁で確定し、久間さんは2008年に刑を執行された。妻が2009年に申し立てた第1次再審請求は2021年4月に最高裁で棄却され、同年7月に第2次請求を起こした(第1次再審請求の最高裁決定についてはこちら、第2次再審請求の申立てについてはこちらの記事をご参照ください)。

小学生の女児2人を乗せた白い軽自動車

 証人尋問を受けたAさんの目撃証言は、こんな内容だ。

 1992年2月20日の午前9時40分~10時40分ごろ、児童2人が行方不明になった場所に近接した国道・八木山(やきやま)バイパスを車で走行中、後部座席に小学生の女子児童2人を乗せた白いワンボックスタイプの軽自動車を見た。

 運転していたのは30~40歳くらいの色白の男で、5分刈りほどの短髪、細身の体形。児童のうち1人はオカッパ頭で、ランドセルを背負ってAさんの方を見つめており、恨めしそうな、うら寂しそうな、今にも泣きそうな表情だった。もう1人は横になっていて、そばにランドセルがあった。平日の午前中なのにおかしい、と直感した。

 軽自動車は片側1車線の道路を時速40km以下で走行。後ろについたAさんはイライラしながら2車線になったところで右側から追い越した際に「こんな迷惑な運転をするのはどんな奴なのか」との思いで軽自動車を凝視し、女児と男を目撃した。Aさんが運転していた車は左ハンドルだった。

 集金に行って売掛金を回収できなかった帰りだったので、日にちを特定できる。その後、久間さんの初公判(福岡地裁・1995年2月)を前から2列目の席で傍聴し、自分が見た男とは全くの別人で驚いた。二十数年後に被害者の写真を見たが、自分が目撃した女児の顔とよく似ていた。

早くから警察は久間さんをマーク

 証人尋問は非公開で行われ、終了後に久間さん側の弁護団がAさんとともに記者会見をして概要を説明した。法廷では、弁護団の主尋問(約50分)でAさんが目撃内容を説明し、その後、検察による反対尋問(約45分)が行われた。

 新たな事実も明らかになった。

 Aさんはニュースで2人の女児が行方不明になったことを知り、目撃の翌朝に警察へ通報しており、2月26日か27日に警察官が事情を聴きに来た。その際、Aさんが軽自動車の特徴を説明すると、警察官は「紺色のボンゴ(ワンボックスカー)ではないのか」と問い返したという。紺色のボンゴは、犯行に使われたとされた久間さんの車だ。

 遺留品発見現場そばで久間さんの車と特徴が一致する車を見たという、前述したX氏の証言が最初に出たのは3月2日だ。つまり、警察はその数日前から、捜査の対象を久間さんに絞っていたことがうかがわれる。Aさんはバイパスに設置された監視カメラの映像を調べるよう求めたが、その後、警察から連絡はなかった。

 ちなみに、X氏の目撃証言は3月2日の「紺色のワンボックスカー」から次第に詳しくなっていき、3月9日の警察官調書では「(車種は)トヨタやニッサンではない」「車体にラインがなかった」「後輪がダブルタイヤ」「タイヤのホイルキャップの中に黒いライン」「ガラスにフィルムを貼っていた」と久間さんの車の特徴と細部まで一致する内容になる。

 しかし、第1次再審請求審で証拠開示された捜査報告書によって、調書を作成した警察官がその2日前の3月7日に久間さんの車を見に行っていたことが判明。X氏の目撃はカーブが続く山道を時速25~30キロメートルで運転中のことでもあり、弁護団は「警察官が証言を誘導した」と主張している。

検察は「記憶が曖昧」との印象づけを狙う

 弁護団はAさんの証言によって「X氏の証言は本件とは関係ないことが明らかになった」と自信を見せている。

 一方の検察はAさんの証言が「曖昧で信用性がない」と反論しており、この日の反対尋問でも細かい点を突いてきたという。たとえば、Aさんは軽自動車を目撃した時刻を午前9時40分~10時40分ごろと証言したが、再審請求時に出した陳述書には午前11時ごろと記載されており、そのズレを執拗にただしたそうだ。弁護団は「31年前のことで記憶が不確かだと印象づけようとした」と受けとめている。

 裁判官もAさんに「女児のランドセルは見えなかったのでは」などと問うたが、弁護団によると、どんな問題意識を持っているかを推測できるような内容ではなかったそうだ。

 証言を終えたAさんは「女児と男の顔はしっかり見えた。女児のこわばった表情が脳裏に焼き付いていて忘れられない。私が見たのは真犯人の車だと今も確信している」と感想を述べ、「早く再審が始まることだけを願っている」と力を込めた。

再現実験で「連れ去りは不可能」

 弁護団が第2次再審請求審でもう1つポイントに据えるのが、女児2人が連れ去られたとされる「三叉路」での目撃証言だ。

 死刑判決は、「登校中の2人の女児を車から見た」とする証言の約3分後に同じ場所を車で通った人は女児を見ていないとして、この3分の間に2人が連れ去られたと認定した。だが、弁護団が他の証言も踏まえて車の動きなどの再現実験をしたところ約20秒しかないことが分かり、「20秒間での連れ去りは不可能」とする報告書を今年2月に新証拠として提出している。今後、現場検証をするよう地裁へ要請する方針だ。

◎著者プロフィール
小石勝朗(こいし・かつろう) 
 朝日新聞などの記者として24年間、各地で勤務した後、2011年からフリーライター。冤罪、憲法、原発、地域発電、子育て支援、地方自治などの社会問題を中心に幅広く取材し、雑誌やウェブに執筆している 。主な著作に『袴田事件 これでも死刑なのか』(現代人文社、2018年)、『地域エネルギー発電所──事業化の最前線』(共著、現代人文社、2013年)などがある。

(2023年06月13日公開)


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