袴田巖さんがローマ教皇のミサに参加/個別の面会・接触はかなわず


記者会見に臨む袴田巖さん
ローマ教皇のミサに参加した後、姉の秀子さん(左)、西嶋弁護団長(右)と記者会見に臨む袴田巖さん(中央)=11月25日、弁護士会館、撮影/小石勝朗。

 1966年に静岡県で一家4人が殺害された「袴田事件」で死刑が確定し、第2次再審請求をしている元プロボクサー袴田巖さん(83歳)が11月25日、来日したローマ教皇フランシスコのミサに参加した。姉の袴田秀子さん(86歳)とともに招待を受けて東京ドームを訪れ、約5万人の信者らと厳粛なひとときを共有した。希望していた教皇との個別の面会や接触はかなわなかった。

 巖さんは死刑判決が確定(1980年)した後、1984年12月に東京拘置所で洗礼を受けた。2014年に静岡地裁が再審開始決定を出して47年7カ月ぶりに釈放されたが、2018年には東京高裁が一転、再審請求を棄却したこともあり、世界規模の世論喚起につなげたいと教皇来日へ向けて秀子さんや弁護団、支援者らが面会を働きかけてきた。巖さんには長期間の身柄拘束による拘禁反応(精神障害)が残り、今も会話が噛み合わないことが多い。

 当日、姉弟は前から6列目の席でミサに参列した。巖さんはスーツに蝶ネクタイ、山高帽と黒色でコーディネート。教皇が車に乗って場内を回った時には皆と一緒に立ち上がり、小旗を振っていたという。途中でミサが終わったと勘違いして帰ろうとする場面もあったが秀子さんが引きとめ、結局、静かに最後まで会場にいて、信者の熱気を肌で感じた様子だった。ただ、東京ドームに入るまで秀子さんはミサに行くと説明しておらず、巖さんがどこまでミサを認識していたかは分からない。

 秀子さんによると、日本カトリック司教協議会から静岡県浜松市の自宅に、2人のミサ招待状が届いたのは11月20日の夕方だった。翌21日に上京。22日にイタリアのカトリック系団体が都内で開いた「共に死刑を考える国際シンポジウム」に出席した後、そのまま東京に滞在してミサに備えたようだ。

 教皇と巖さんの面会や接触が実現するかどうかをめぐっては、予測報道の過熱ぶりが目立った。9月中旬に共同通信と朝日新聞が「面会を調整」と報じたのが皮切り。11月16日には共同通信や読売新聞がローマ教皇庁の話として「ミサに招待されている」と書き、「接触する可能性」に触れたメディアもあった。しかし、実際には袴田さん姉弟への招待状は11月18日付で、届いたのは前述の通り11月20日。マスコミは袴田さんサイドにきちんと確認を取らないまま、記事を流していたことになる。

 袴田さんの再審請求に当たっている西嶋勝彦・弁護団長や秀子さんによると、姉弟の事前の行動を公表しないように同協議会から強く求められていた。このため22日のシンポジウムの際には、執拗にミサ参加の予定を聞き出そうとするマスコミに対し、普段は冷静に対応する秀子さんが珍しく不快感を表に出す場面もあった。西嶋氏自身もミサに同席させてほしいと協議会と交渉したが、認められなかったという。

 教皇との個別の面会や接触は、なぜ実現しなかったのだろうか。

 現教皇は「例外なき死刑反対」を明言しており、巖さんと個別に面会や接触をすれば、日本が死刑執行を続けている状態が世界に発信されることになる。また、教皇はミサの後に安倍晋三首相と会談することが決まっており、その際に「死刑」が話題に出る可能性がある。来年に東京五輪・パラリンピックを控え国際的なイメージダウンを避けたい日本政府から水面下で要請があったのか、あるいは、日本の受け入れ側がそうした事情を忖度した結果ではなかったのか、との見方が支援者の中にはある。

 それでも、巖さんのミサへの参加には一定の意義があった、と弁護団や支援者は受けとめる。

 ミサ後に姉弟と記者会見した西嶋氏は「教皇と直接言葉こそ交わせなかったが、すぐそばへ行ってミサを受けることができた。招待されていることが世界に発信され、『死刑囚がまちを歩いている』という世界に例を見ない現状が広く知れ渡った。日本の司法界もこうした影響を無視して事を進めるわけにはいかないだろう」と語った。

(ライター・小石勝朗)

(2019年12月05日公開)


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