龍谷大学文学部で、4月より『甲山冤罪(教育)学』が開講


 

 龍谷大学文学部(哲学科教育学専攻)の科目である「教育学特殊講義」の1つとして『甲山冤罪(教育)学』(春学期月曜4限〔15:15〜16:45〕)が、4月14日より始まった。15回開講し、7月28日が最終回である。担当は、同学部の札埜和男教授である。

 同大学の「講義概要」では、講義の特色と内容をつぎのように記している。

 「冤罪はあってはならないことであるが、昨今でも袴田事件ほか、日本社会においては『冤罪マップ』(法学セミナー1983年7月増刊号所収)ができあがった時と同様、数多くの冤罪が生まれ続け、事件によっては死刑が執行されている。

 本講義では無罪確定まで事件発生から25年を要し、3度の完全無罪判決が下された、日本の刑事事件史上に残る『甲山事件』に焦点を当てる。これは1974年3月19日西宮市の知的障がい者施設『甲山学園』で園児2名が浄化槽から遺体で発見され、保母として働いていた山田悦子氏が逮捕された冤罪事件である。警察の強引な取調べ、マスコミ報道の在り方など今の社会問題に通じるさまざまな事象が起こった。

 甲山事件を、残された資料(甲山事件の資料は龍谷大学に寄贈されている)、関係者の証言などさまざまな視点から明らかにする。山田悦子氏は『冤罪リテラシー』という表現を使いながら「冤罪は奥深く、さまざまなアプローチから社会の在り様や在り方、人間存在について考えることができる」と述べている。

 『冤罪リテラシー』とは『冤罪の実態を学ぶことを通して社会の抱えるさまざまな問題を読み解く力をつけること、またそれによってつけられた力のこと』である(例えば、冤罪を通して「なぜ冤罪はなくならないのか」はもとより「法治国家・日本とは何か」「なぜ検察や警察組織は過ちを繰り返すのか」「憲法解釈の問題(なぜ推定無罪の条文がないのか)」「なぜマスコミはだらしないのか」「なぜ法思想、人権思想のレベルが低いのか」「なぜ人権教育は形骸化しているのか」などが考えられるという)。山田氏のいう『冤罪リテラシー』を養い、人間の尊厳や人権について、共に受講者と考えていく時間とする」。

 札埜教授は、講義について、つぎのように語る。

 「できる限り、ゲストを(対面かオンラインかで)毎回招くような開かれた授業にし、甲山事件の冤罪被害者である山田悦子氏も授業に招聘する。さらに事件にゆかりの地へのフィールドワークを行う予定である」。

 甲山事件冤罪被害者の山田悦子氏は「闇に潜らなければ、闇の深さもわからない」と述べる。シラバスには「本科目を受講するにあたり、受講者には『冤罪』という入口から人間や社会の『闇』に潜る覚悟を求める」と明記され、課題もハードであるが、気骨ある学生が10数名履修登録してきた。

 4月28日現在3回目の講義を終えたが、いずれの回でも山田氏と電話でつなぎ、学生が山田氏の肉声を聞いて応答する場面を設けている。

 札埜教授は「教員・学生だけでなく『冤罪』に関心あるさまざまな人たちと一緒に学んでいける授業にしたいため、教室を社会に開かれたオープンな場としたい」と話している。

◯講義への参加を希望される方は(オンラインも含めて)札埜まで(fudafuda@let.ryukoku.ac.jp)。

◯講義内容(15回分予定)
 1 甲山事件とは何か(概要)……4月14日
 2 冤罪被害の実情について……4月21日
 3 警察や検察の取調べについて(なぜ同じ過ちを犯すのか)……4月28日
 4 冤罪の温床=代用監獄制度とは(なぜ冤罪は起きるのか)……5月12日
 5 なぜ人はウソの自白をするのか……5月19日
 6 知的障がい者の目撃証言の評価を巡って……5月26日
 7 弁護人のパッションについて……6月2日
 8 フェアな検察官、裁判官の良心について……6月9日
 9 マスコミ報道と使命(なぜマスコミはだらしないのか?)……6月16日
 10 日本国憲法と無罪推定(条文)について……6月23日
 11 冤罪リテラシーに根差した法と人権(教育)について……6月30日
 12 法治国家・日本とは……7月7日
 13 学びの思想化……7月14日
 14 事件をどう生かしていくか(教育の視点から)……7月21日
 15 山田悦子氏をお招きして(未来への希望)……7月28日
 *内容については入れ替えたり、変更する場合がある。

(2025年05月08日公開)


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