欧州における法医鑑定の風景を描き出した
全世界シリーズ累計で160万部を突破したという。法医学の書籍なので、専門家としては大変興味があり、早速、手にとって読んでみた。著者はベルギーの法医学者でリエージュ大学の法医学教授である。リエージュ大学といえば、史上初の細胞説を唱えたシュワンが教授を務めた名門大学である。著者はこれまで1万体以上を検死・解剖したという。作家としても多数の著作があり、その筆力がベストセラーにつながっていることに加え、ベルギーでは蘭、仏、独、そして英の4カ国語が運用されており、多国語化の機会に恵まれたこともヒットの要因であると思われる。
とはいえ、売れるには売れるだけの中身があるはずである。そうして目次をみてみると、単純に見える事件について、常識を超えた奇異な真実を法医学が暴いた事例が多数、紹介されている。これを読むと捜査の深層に立ち入ると真実が暴けることに勇気づけられるが、それを助けてくれる法医学者に恵まれるかどうかも問題である。
この書物には、医学の伝統に支えられた科学的精神の香りが満ち溢れた法医学が描かれている。ベルギーと言えば近代解剖学の祖と言われている偉大なるヴェサリウスを生んだ伝統があることを思い出す。この書では法医学がその一角をなす犯罪科学について、3つの原理から始められる。
第1は、警察科学者のエドモン・ロカールによる「交換原理」である。その中身は「すべての接触は痕跡を残す」である。少し解説を加えれば司法解剖を例に取ると、すべての痕跡には接触がある、として捉えられる。つまり死体にある、あらゆる痕跡はすべてそれを惹起した接触がある、ということになる。
第2は、近代統計学の父と言われたベルギーのアドルフ・ケトレーによる「同じものは二つとない」である。これはいかなる事実も独自のものとして扱わなければならないことを意味する。
第3の原理は、「一度取りこぼしたら二度と発見できない」である。司法解剖で言えば、死体は最後の証拠であるが、解剖できる機会はたった一度だけで、それを行わなければ大事な事実を永遠に取りこぼしてしまう、ということに繋がる。
以上の原理は事実の大事さを語っているだけでなく、流れ行く時間を止めた瞬時において、細心の注意を払って初めて証拠が捉えられることを教えてくれる。法医学の観点からは特に卓筆なのは次の一文である。
「そもそも、解剖は死因を明らかにするだけでなく、そのほかの死因が存在しないことも証明しなければならない。弾丸が頭部を貫通していても、これが唯一の死因である『かどうか』を証明する必要がある。……司法解剖は帰納的な手順を踏むのが鉄則である。すなわち、遺体の表面や内部で見つかったすべての痕跡や証拠を積み重ねた末に診断を下すのだ。この対極にあるのが、特定の仮定を出発点としてそれが正しいかを確かめる演繹的な解剖だ。後者を選ぶと、真の死因を見逃してしまう可能性が大いにある」(本書67頁)。
これはまさに私が拙著『裁判のための法医学入門』で強調してきたことであり、遠き欧州の地に心友を得たように思ったものである。さらに続く。
「窒息は間違いなく、法医学において最も判定が難しい病理の一つである。……なぜなら、ほかの死因は一つも存在しないと確信できない限り、確実なことは言えないからだ。これまでにも述べたことだが、これこそが、司法解剖では常に全身をくまなく調べ、ほかの死因を疑う余地がないことを明らかにすべき理由だ」(本書260〜261頁)。
一方、本邦では、被告人が犯人であるという前提で演繹的な解剖を行う法医学者がほとんどである。しかもそれを裁判官にも信じさせてしまう恐ろしさがある。
本書の最終節「裁判長、お許しください」ではベルギーの重罪裁判所の光景が喜劇調に描かれている下りがあるが、弁護人の執念が垣間見えて面白い。
真の科学的な法医学とは何か、をわれわれに問いかけている書である。「死者はもはや、語れない」から、と言って噓を代言していいわけではない。死者が最も語りたかった「真実」は何か、それを明らかにするのが科学的な法医学であるのだから。
(本田克也〔ほんだ・かつや〕/筑波大学名誉教授)
(2026年06月10日公開)