『生涯弁護人 事件ファイル〈1〉・〈2〉』


自分の頭で考え行動して、司法の「壁」を突破する

1 被疑者・被告人の基本的人権保障のために

 著者は、紹介する必要がない著名な刑事弁護人である。かくも弁護人という職業を天職として授かった人物がいるであろうか。民事事件の弁護は勿論のこと、著者が名を馳せるのは刑事弁護人としてである。

 欧米では、刑事裁判において無罪を勝ち取る(この「勝ち取る」という表現こそ現下の刑事司法の特質を言い当てているのであるが)と、所属ないし経営している法律事務所が名声を得、顧客や事務所収益の増加に繋がることが多いが、わが国では、そのようなことは滅多にない。このような割の合わない刑事弁護の世界にあって、常に権力と一線を画し、時には世間やマスメディアと対峙しながら、被疑者・被告人の基本的人権保障のために、彼ら彼女らを支え闘い続けてきた者の「闘いの記録」が今回紹介する著作である。

 著作と一言でいっても、事件ファイル〈1〉、〈2〉との二分冊であり、本文930頁余、エピソード他を合わせて1,000頁弱の大作である。そして、著者みずから「闘いの記録」というように、本書は、著者がこの半世紀余の間に関わった事件の裁判戦略についての集積書であり、手を抜く者も多い中で、「現場百遍」を第一として自分で確かめ、掘り下げて行った個々の事件に関する立証活動の実践記録である。読者は、本書から「なぜ悪い人を弁護するのか?」という問に対する一つの答を得ることができる。

2 本書構成

 事件ファイル〈1〉では、「第1章 国策捜査との闘い」で村木厚子元厚労省事務官、小澤一郎衆議院議員、鈴木宗男衆議院議員の事件を、「第2章 政治の季節」でよく憲法の基本判例に取り上げられるマクリーン事件や一連の東大紛争関連から所持品検査問題といった刑事公安事件を、そして「第3章 医療被害と向き合う」でクロマイ・クロロキン薬害訴訟や六価クロム事件といった薬害問題と、東大裁判を契機として関わりをもち始めた医療過誤事件を、最後の「第4章 『悪人』を弁護する」で最期は非業の自死の道を選んだ三浦和義氏の「ロス疑惑」事件を取り上げている。

 また事件ファイル〈2〉では、「第1章 報道が作り出す犯罪」で安部英医師薬害エイズ事件を、「第2章 弱者と共に」で人身売買被害者である在留外国人による殺人事件や小学生が被害者となった交通事故死事件を、「第3章 名誉棄損・プライバシー侵害と報道の自由」で野村沙知代事件などの芸能人が関連したものと日刊新愛媛事件や『創』接見妨害事件などを、「第4章 誰もが当事者に」で警察官による暴行事件や痴漢冤罪事件を、最後に「第5章 日本の刑事司法の現実」でカルロス・ゴーン事件を、取り上げている。

3 国家権力や司法の対する辛辣な批判

 「権力とは一線を画す」等といった著者の弁護士としてのポリシーや原則が随所で語られており、強大な国家権力の不正・不当なやり方に対してあらゆる手段を尽くして、圧倒的に弱い被疑者・被告人を弁護・擁護するのが弁護士であるとする。

 それゆえ、国家権力や司法の現状に対する批判は辛辣である。調書は検察官がいかようにも作成できる、取調べの可視化等の刑事訴訟法の改正は検察官の焼け太りを増すだけである、事件の本質を隠蔽したり流行に流される裁判官の姿勢、上訴されたくないと考える裁判官感情、そのほか外国人裁判が多くなっているのに通訳人の能力不足、マスメディアの司法機関への忖度(?)やその犯罪報道の偏向ぶり等々、真っ向勝負で権力と闘ってきた者でなければ書けない話が満載である。

 その一方で、弁護人の役割について、著者は「弁護士とは、法律的な知識、考え方が多少身についている者として、依頼者が抱えている問題解決のためにサポートする仕事だと思っている。依頼者とは、一緒に問題解決のために闘う対等な立場だと思っている」(〈2〉のあとがき)とする。依頼人に寄り添い、地道な聞き取りや実地調査を通じて依頼人と心の繋がりを築き、その満足や安心に結びつけることを実践している。

4 闘いは現在完了進行形

 著者には『無罪請負人──刑事弁護とは何か?』(KADOKAWA、2014年)という著作がある。それゆえ、無罪請負人とよく呼ばれている。しかし、著者は刑事弁護ばかりをやっているわけではなく、通常の民事事件や薬害、医療問題にともなう民事、行政事件をも担当してきている。これを踏まえるなら無罪ではなく「勝訴請負人」と呼ぶべきであろうか。しかし、本人も述懐しているように、半世紀の間に2,000件余をこなしてきた中で、そうそう上手くいったものばかりではない。

 自分の頭で考え、行動して、司法の「壁」を突破することが、弁護士の仕事の醍醐味であるという。冒頭で、著者は「闘い続けてきた」と書いた。これは、勿論、過去形ではない。確かに、終わりのない道はない。しかし、著者には、未だ終わりなど見えていないはずである、否、未だその闘いは現在完了進行形なのである。いつまでも失敗を恐れず、何年か後に、続編が上梓されることを願ってやまない。  

(ま)

(2022年04月08日公開) 


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