〈袴田事件・再審〉検察が「5点の衣類は袴田さんの犯行着衣」と主張、捏造は「非現実的で不可能」/第3回公判

小石勝朗 ライター


袴田巖さんの再審公判が開かれている静岡地方裁判所=2023年11月20日、静岡市葵区、撮影/小石勝朗

 1966年に静岡県清水市(現・静岡市清水区)で一家4人が殺害された「袴田事件」で、強盗殺人罪などに問われ死刑が確定した元プロボクサー袴田巖さん(87歳)の再審(やり直し裁判)第3回公判が11月20日、静岡地裁(國井恒志裁判長)で開かれた。事件の1年2カ月後に味噌タンクから見つかった「5点の衣類」をテーマに検察が主張・立証を行い、死刑判決の認定通り袴田さんの犯行着衣だと強調。再審請求審で東京高裁(今年3月)と静岡地裁(2014年)の開始決定が言及した「捏造の疑い」に対して「非現実的で実行が不可能」と強く否定した。

事件前の袴田さんの衣類と酷似

 第3回公判では、検察が設定した論点②「(袴田さんが住み込みで勤務していた)味噌工場の醸造タンクから発見された5点の衣類は、袴田さんが犯行時に着用し、事件後に同タンクに隠匿したものである」の審理に入った。この日は検察が主に確定審に出された証拠に基づき主張・立証をした。

 検察はまず、5点の衣類には多量の血痕がさまざまな部位に付着しており、そのうちのズボンの前面に複数の損傷があること、また、推定される犯行の態様と血痕の血液型の状況が整合するとの見立てを挙げ、「5点の衣類が犯行着衣と認められる」と指摘した。ズボンよりも、その下にはいていたはずのステテコに多量の血痕が付着していることについては「ズボンの生地には血痕が付着しにくい一方、ステテコの生地は血液を多く吸収した」と理屈づけた。

 味噌工場の同僚の証言をもとに、5点の衣類のうちの緑色ブリーフやねずみ色スポーツシャツは袴田さんが事件の前に着ていた衣類と酷似しているとし、事件後にそれらが目撃されていないことにも触れた。そのうえで、ズボンの端切れが袴田さんの実家で発見されたことを重視し、「5点の衣類はすべて袴田さんのものだと認められる」と断じた。

ズボンがはけなかったのは太ったため

 確定審の高裁審理で袴田さんがこのズボンを実際にはいてみる装着実験を3回したところ、いずれも途中でつかえてはけなかったことは広く知られている。検察は従来、ズボンのタグに記された「B」の記号がサイズを表すとして、大きかったズボンが味噌に長期間漬かった後で乾燥したため縮んではけなくなった、と説明してきた。しかし、再審請求審で証拠開示されたズボンメーカー社員の供述調書で、Bは色を示しておりズボンのサイズは細身のY体だったことが明らかになった。

 この点について検察は今回、「袴田さんが太ったため」と理由づけを転換した。ズボンの胴回りが72~74cmであるのに対し、事件当時の袴田さんのベルトはウエスト73cm前後の穴に最も多く使用された形跡があったと主張。事件の約8カ月前の袴田さんの体重は55kgだったのに、事件の5年後以降に行われた装着実験の時点で体重は約62kgまで増えていたと強調した。

シャツがよじれた時に打撃を受けた

 検察はさらに、白半袖シャツの右袖上部に2つの穴があり、周囲に内側から袴田さんと同じB型の血痕が付着していること、また、スポーツシャツの右袖上部にも1つの穴があることを取り上げた。逮捕時に袴田さんの右上腕部には傷跡があり、シャツの穴と位置が概ね一致しているとして、「袴田さんが犯行時に5点の衣類を着用していたと認められる」と立論した。

 袴田さんの弁護団からは、半袖シャツに2つ穴があるのに、その上に着るスポーツシャツの穴は1つしかなく、双方の穴の位置も異なると疑問が呈されている。これに対して検察は「半袖シャツがよじれた時に(被害者から)打撃を受けた」などと推測。また、シャツの穴と傷跡の位置がズレている写真があることについては、撮影が5点の衣類の発見から4年余り後で「袴田さんの上半身が太り、シャツの縮みが進行した」との論理を展開した。

脛の傷の記録が逮捕時にないのは身体検査の精度の問題

 袴田さんの右足の脛に傷がありズボンの損傷の位置と符合することも、被害者と格闘した時のものだとして犯行着衣である根拠とされてきた。しかし、逮捕当日の身体検査調書には脛の傷の記録がなく、再審請求審の差戻審で東京高裁は「右脛の傷は逮捕後に生じたもので、ズボンの損傷が右脛の傷に合わせて作出されたのではないかとの疑いを生じさせる」と判定している。

 この点について検察は今回、逮捕当日の身体検査が14分間だったのに対し、脛の傷の記録がある起訴前日の身体検査は40分間にわたって行われており、検査の精度に差異があったためとの見方を示した。同時に「脛の傷はさほど顕著なものとは言い難い」とも釈明した。

 検察はさらに、袴田さんが5点の衣類を味噌タンクに隠したと主張した。発見された味噌タンクは袴田さんの作業スペースだったとして「このタンクに隠匿することは自然な発想」と見立てた。

 事件当時、このタンクには約80kgの味噌しか入っておらず5点の衣類を隠せなかったとの指摘には、味噌が200kgや160kg入っていたとの証言もあると異を唱えた。事件4日後の警察による捜索で5点の衣類が発見されなかったことについては、味噌工場側から損害が出ないよう味噌の内部は捜索しないよう強く要請されており、警察も味噌を掘り返すまではしなかったと説明した。

リスクを冒してまでの大規模な捏造は考え難い

 検察が特に力を入れたのは、5点の衣類が「捏造された疑い」への反論だ。再審請求審では袴田さんの弁護団の主張を受け入れる形で東京高裁と静岡地裁が捏造に言及しているが、「誤った根拠に基づくもので事実に反する」と強調し、理由として7点を詳述した。

 具体的には、①袴田さんが事件前に着ていた衣類の特徴を把握して、酷似する5点の衣類を用意するのは著しく困難、②販売ルートまで整合するように5点の衣類を用意するのは著しく困難、③味噌工場の協力がないまま忍び込み、タンクの味噌の中に5点の衣類を隠すのは著しく困難、④捏造するのに5点もの衣類を用意する必要はないし、捏造だとすると血痕付着や損傷の状況はかえって説明が著しく困難——などと訴えた。

 ズボンの端切れが実家から見つかったのも警察が発見直前に仕込んだためとの弁護団の主張に対しては、袴田さんの母親が「端切れは味噌工場から送られてきた荷物の中に入っていた」と供述していることを根拠に否定した。

 そして、5点の衣類の捏造は大規模な作業なので公になるおそれが大きく、その場合、公判維持ができなくなるだけでなく、関係者が刑事責任を問われたり捜査機関の信用が失墜したりするリスクが高いと分析。「捜査機関が多くのリスクを冒してまで大規模な捏造計画を企図・実行するとは非常に考え難い」と力を込め、「捏造の主張は非現実的で、実現は不可能」と結んだ。

第3回公判の終了後に記者会見する袴田巖さんの姉・秀子さん(中央)と弁護団=2023年11月20日、静岡市葵区の静岡県弁護士会館、撮影/小石勝朗

弁護団「犯行着衣の根拠が薄い」

 公判終了後、出頭義務を免除された袴田さんに代わって出廷している姉・秀子さん(90歳)と弁護団は、静岡市内で記者会見した。

 弁護団の小川秀世・事務局長は「検察の主張は盛りだくさんだが、『枯れ木も山のにぎわい』という印象だ。5点の衣類が犯行着衣であることがメーンになるべきなのに、根拠は薄く確信できる内容がない」と批判した。

 一方で、元裁判官の水野智幸弁護士は「検察は証拠をきちんと拾い出して立証してきた。一通り整合性はあり、弱点を見極めて反論する必要がある」と気を引き締めていた。

 秀子さんは「これじゃあ冤罪はなくならないと思った。弁護団には次回以降の公判で、すべからく反論してほしい」と感想を語った。

 次回・第4回公判は12月11日。午前中に検察が引き続き論点②の立証に用いる証拠の概要を説明し、午後から弁護団の反証に移る予定だ。

【袴田事件の再審決定後の動き】は以下を参照(編集部)
〈袴田事件・再審〉「外部の複数犯」と袴田さんの弁護団が主張、「味噌工場関係者の犯行」とする検察に反論/第2回公判
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◎著者プロフィール
小石勝朗(こいし・かつろう) 
 朝日新聞などの記者として24年間、各地で勤務した後、2011年からフリーライター。冤罪、憲法、原発、地域発電、子育て支援、地方自治などの社会問題を中心に幅広く取材し、雑誌やウェブに執筆している 。主な著作に『袴田事件 これでも死刑なのか』(現代人文社、2018年)、『地域エネルギー発電所──事業化の最前線』(共著、現代人文社、2013年)などがある。

(2023年11月28日公開)


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