〈湖東記念病院事件〉国賠控訴審で、大津地検の違法性を認めず

粟野仁雄 ジャーナリスト


大阪高裁の判決直後に飛び出した原告弁護団(2026年6月25日、大阪高裁正門にて。撮影/粟野仁雄)

 湖東記念病院事件の冤罪被害者である元看護助手の西山美香さん(46歳)が「検察官の捜査が違法だった」として控訴審で国に損害賠償を求めていた訴訟の判決が6月25日、大阪高裁であった。長谷部幸弥裁判長は「検察の捜査が違法とは認められない」とした一審判決を支持して、西山さんの控訴を棄却した。

 国賠訴訟では昨年7月17日、一審の大津地裁(池田聡介裁判長。LEX/DB25623049)は「噓の自白を強く誘導する違法捜査があった」「西山さんが自発的に話したかのように供述調書を作った」として滋賀県に約3,100万円(請求額は約5,500万円)の支払いを命じた。県警は控訴を断念し池内久晃本部長が謝罪していた。だが、大津地検(西山さんを起訴したのは、早川幸延主任検事)については「自白は信用できると認めたことは当時の捜査資料から合理性があった」と違法性を否定したため、西山さんが控訴していた。

裁判官の態度に怒り

 判決後、西山さんは会見で「少しは(検察の)違法性を認めてくれるかと期待していましたが、負けてしまって悔しい気持ちで一杯です。上告するかどうかも迷っていました。普通の暮らしをしていきたいし。就職のための訓練も受けています。山本(誠)刑事が(虚偽供述へ誘導したことなどを)認めてくれなかったのが原因でPTSDになったので、徐々に馴らして普通の生活がしたいと思ったのですが、そういうわけにはいかなくなった。(長谷部裁判長は)判決の要旨くらいは読んでほしかったのにそそくさと出て行ってしまって腹が立っています。でもここまで来られたのは支援していただいた方々のおかげです。獄友と言われている青木惠子(東住吉事件)さんの存在が大きかった。凄い活動をされている。上告してどうなるかわからないけれど終わるまでしっかり戦っていきたい。櫻井さん(布川事件の櫻井昌司さん・故人)も天国で見守ってくれると思います」などと話した。

 西山さんはさらに「日野町事件では検察が有罪立証しないということで嬉しかった。滋賀県で再審無罪が二つも出るし。再審裁判を傍聴して検察に文句も言ってやろうと思いますが、あんまり言うと退廷させられるので」などと笑わせた。

判決で闘い続ける決意に変わった西山美香さん、右は井戸謙一弁護士、左は鴨志田祐美弁護士(2026年6月25日、大阪弁護士会館にて。撮影/粟野仁雄)

消音装置をめぐる作り事

 2003年5月、同病院で高齢の末期患者(男性)が亡くなった。翌年、滋賀県警は看護助手だった西山さんが呼吸器を外して殺したとして殺人罪で逮捕した。起訴されて有罪認定(大津地裁2005年11月29日。LEX/DB25566206)され、懲役12年が確定し満期服役し2017年8月に出所した。動機は病院の待遇への不満のうっぷん晴らしということにされていた。

 県警は当初、正看護師が深夜の痰の吸引を怠ったため患者が死亡したと見て正看護師を追及していた。ところが一緒に当直していた西山さんが突然「呼吸器のチューブを抜いて殺しました」と「自白」。シングルマザーの正看護師を守るためだったが、虚偽の自白で自身がどうなるかが想像できなかった。

 西山さんには軽度の知的障害があり、滋賀県警の山本誠刑事(当時)は、それを狡猾に利用した。兄は学業優秀だったこともあり、コンプレックスを持っていた西山さんに山本刑事は「美香さんにも賢いところあるで」などと巧みに優しい言葉をかけてゆく。西山さんは恋愛感情まで抱いてしまう。

 呼吸器は外れるとブザーがけたたましく鳴り、ナースステーションの職員が飛んでくる。当初、山本刑事は西山さんからあの手この手で「鳴っていた」という噓の供述を引き出したが、当日夜、誰も音を聞いた人はおらず、県警は都合が悪くなった。

 消音ボタンを押すと音は消えるが、患者に再装着しないと1分後には再び鳴り出す。県警はこれを利用し、「西山さんが消音装置の仕組みを知っていて、呼吸器を抜いて頭の中で、1秒、2秒……と数えて60秒になる直前にボタンを押していた」とし、西山さんは有罪になった。

 元裁判官の井戸謙一弁護士らの尽力で再審開始が認められ、大津地裁は2020年3月、「男性刑事が西山さんの恋愛感情などを利用して自白を誘導した」とし、男性患者の死因についても「自然死の可能性が高い」として無罪を言い渡し、4月に確定した。滋賀県警は自然死を示唆する鑑定結果を隠して大津地検に送致していなかった。

 西山さんのような供述弱者に付け込んだ捜査の違法が問われた国賠訴訟では、一審で証人尋問された山本刑事は「好意を持たれているとは思わなかった。供述調書の作成で誘導や押しつけは一切ない」などと証言していた。

「虚偽自白だとの推測は困難」と免罪

 今回、長谷部裁判長は「検察官が恋愛感情に基づいて殺人罪の虚偽自白をしたと推測することまでは困難だった。起訴が違法とは言えない」と認定した。原告側は、西山さんを取り調べた検察官は西山さんが誘導を受けやすい「供述弱者」だと気づいていたはずだと主張したが、同裁判長は一審判決同様に「西山さんが当時は知的障害の診断を受けておらず、検察官が障害についてうかがい知ることは困難だった」と退けた。

 井戸弁護士は会見で怒りを滲ませた。「一番訴えたかったのは供述弱者に対する取調べ。警察の取調べの違法は一審で認められたけれど、検察官はそのことをわかっていたはず。再審の無罪判決では彼女がマインドコントロール状態にあったことが裁判所に認められた。わかっていた検察官がなんら是正も指導もせず、警察の取調べをそのまま受け入れて起訴することはあるまじきこと。これでは冤罪はなくならない」。

 判決は、西山さんの自白が虚偽であることを検察官が推測することは困難という認定だけで原告の主張をほぼすべて排除している。

 だが、井戸氏は「虚偽であることがわからなくても虚偽供述を生むような取調べをしていることは十分わかっているはず。検察官としてやめさせるなり、影響を排除して自分が一から聞き直すとかすべきでした。虚偽と判断できなければ検察は警察に対して何もしなくていいのか、という問いかけが根本です」と訴えた。

 そして具体的に説明した。「警察の調書では、西山さんは事前に看護師の仕事を見ていて消音機能維持装置を知っており、チューブを抜いて1、2、3、4と数えていたとなっているが、検事調書は知らなかったとなっている。なぜ変わったかというと他の看護師もそんな機能を知らなかったからです。1、2、3、4と数えて(ボタンを押して)60が過ぎても消音状態が続く仕組みを西山さんがその場で会得したとしたのが検事調書でした」。

 自白が信用できないとした再審開始決定は、「事前に消音維持機能のことを知らなければ、チューブを抜いて1、2、3、4と数えるはずがない。きわめて不合理」としていた。

 しかし長谷部裁判長は「西山さんが消音維持機能を知っていてもおかしくはない」という認定をした。

 井戸氏は「証拠のない認定をして、この問題をすり抜けているのはとんでもない。それ以外も深く考えることもなく退けられている」と批判した。

 この日は弁護団の鴨志田祐美さん(大崎事件弁護団事務局長)も会見した。日弁連の再審法改正推進室長として飛び回り、衆院の法務委員会に参考人招致され意見を述べていた。 

 再審制度をめぐる刑事訴訟法改正の国会の動きなどを説明し、「修正案では抗告は原則禁止で十分な根拠がある時に限りできるとなっています。本件(湖東記念病院事件)で言えば、検察の抗告が認められるはずがない。あわよくば最高裁が拾ってくれるかもしれないが、無理だろう位のレベル。とても十分な根拠がある抗告ではなかった。今後、あらたな改正法の下で仮にこれが対象になっても抗告はできない」などと話した。

「獄友」の青木惠子さん(右端)も、西山さんの激励に駆け付けた(2026年6月25日、大阪弁護士会館にて。撮影/粟野仁雄)

二人の裁判官

 井戸氏によれば、開廷前、西山さんは「言いたいことは言ってきたし。もともとは普通に生きていきたいので結果にかかわらず裁判はこれで終わりたい」としていたが、この判決で「そういうわけにいかない。最後まで戦いたい」に一変したという。井戸氏は「今日の裁判長の態度は美香さんの気持ちに火を付けたのです。上告します」と断言した。

 「主文、本控訴を棄却する」「訴訟費用は原告の負担とする」。

 この日の午後2時過ぎ、長谷部裁判長はそれだけ読み上げるとさっさと踵を返し、西山さんには一瞥もくれずに法廷から去った。民事裁判では別段、不当なことではない。しかし、井戸弁護士は記者会見の冒頭で長谷部裁判長の態度についてこう指摘した。

 「裁判長は主文を言い渡しただけでなんの説明もせずに法廷を後にしました。一般の民事事件の判決は主文しか言い渡さないのですけど、社会的注目を受けていてたくさんの傍聴人が来られる判決については、要旨を作ってそれを朗読する扱いがなされている。それでも主文しか言わずそそくさと法廷を後にしていた。非常に残念です」と。

 そして「我々の主張が取り入れられないのであれば、そしてそれが裁判所として考え抜いた結論であるのならば、それを法廷で傍聴者の皆さんに説明することは、法律上の義務ではなくても裁判官としてあるべき姿ではないかと思います」と話したのだ。

 2020年3月、筆者は西山さんが再審無罪になった法廷を傍聴した。

 大西直樹裁判長は判決言渡しの後、被告人席の西山さんに「噓をついた(虚偽自白)ことを後悔し気に病んでいるかもしれませんが、問われるべきは捜査手続のあり方です。噓偽りのない西山さんを多くの人が支えてくれました。もう噓をつく必要はありません。等身大の自分と向き合い自分を大切にしてください。今日がその第一歩です」(要旨)と温かい言葉をかけた。西山さんが子どもの頃からつまらぬ噓をついて友達の歓心を買おうとしていたことにまで触れた大西裁判長の目は真っ赤だった。その言葉に西山さんが涙を流す姿に胸が熱くなった筆者は、コロナ禍で大津地裁の傍聴席数を半数以下にされながらも当選した傍聴券を今も財布に入れている。刑事法廷、民事法廷と舞台は違えども、6年を経ての二人の裁判長はあまりにも対照的だった。

 一般に裁判官というのは自らが下した判決に対し、上訴されることを嫌う。その意味でも国賠控訴審の長谷部裁判長の態度が賢明だったとは思えない。

 西山さんと弁護団は控訴審判決に対して、「検察官の責任は重いはず。証拠を示さず免責する判決は納得できない」として、7月7日付で最高裁に上告した。

◎著者プロフィール
粟野仁雄(あわの・まさお) 
 1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部卒。共同通信記者を経て現職。著書に『サハリンに残されて』(三一書房)、『瓦礫の中の群像 阪神大震災』(東京経済)、『アスベスト禍』(集英社新書)、『「この人、痴漢!」と言われたら』(中公新書ラクレ)、『検察に殺される』(ベスト新書)、『ルポ 原発難民』(潮出版社)など多数。近著に『袴田巖と世界一の姉——冤罪・袴田事件をめぐる人びとの願い』(花伝社)。神戸市在住。

(2026年07月13日公開)


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