布川事件の櫻井昌司さんの葬儀に、親族や支援者ら約400人以上が参列


櫻井昌司さんの葬儀・告別式で弔辞を読む谷萩陽一弁護士(2023年8月31日 水戸市斎場にて。編集部撮影)

 布川事件の冤罪犠牲者の櫻井昌司さんの葬儀・告別式が8月31日、茨城県水戸市内の斎場で営まれた。祭壇には、「明るく楽しく毎日何事も全力で」といつも笑顔を絶やさなかった櫻井さんの遺影が飾られた。

 親族や支援者ら約400人以上が参列した。葬儀には、桜井さんから支援を受けた東住吉事件の青木恵子さん、湖東記念病院事件の西山美香さんらの冤罪犠牲者らも駆けつけた。

 櫻井さんは、8月23日午前10時30分、水戸市内の病院で直腸がんのため76歳で亡くなった。

 午後1時にはじまった告別式は、会場の外まで参列者が立ち並んだ。僧侶の読経後、谷萩(やはぎ)陽一(布川国賠訴訟弁護団長、弁護士)、伊賀カズミ(再審法の改正をめざす市民の会共同代表、日本国民救援会中央本部会長)、中澤宏(元布川事件桜井昌司さん杉山卓男さんを守る会、布川国賠を支援する会事務局長)各氏が弔辞を読み上げた。末尾に全文を掲載する。

 櫻井さんは一貫して無罪を主張し、再審無罪が確定したのは事件から44年経過した2011年だった。

 再審無罪が確定した後、2012年に、冤罪の原因と責任を明らかにすべく国家賠償請求訴訟を起こした。捜査の違法性が認められ、2021年、国と県に賠償を命じた東京高裁の判決が確定した。

 自身の再審事件を闘いながら、全国の冤罪事件の支援にも力を注いだ。2019年3月、冤罪犠牲者の会を立ち上げた。

 また、最近は、再審法改正にも力を注いでいた。同年5月、周防正行監督、木谷明元裁判官らとともに、再審法改正をめざす市民の会を発足させ、共同代表に就任していた。

【布川事件】
 1967年8月28日、茨城県北相馬郡利根町布川で男性(当時62歳)が殺害され現金が奪われた事件。事件発生40日後、捜査に行き詰まった警察は櫻井昌司さんと杉山卓男さん(2015年死去)をささいな別件で逮捕し、殺人を「自白」させた。二人は強盗殺人罪などで起訴され、第一審・水戸地裁は、この自白を唯一の直接証拠として無期懲役の判決を下した。東京高裁で控訴棄却、最高裁で上告棄却され、無期懲役が確定した。2回目の再審請求で2005年再審が認められた。2009年、最高裁が、検察の特別抗告を棄却して再審が確定。そして、2011年の再審で無罪となった。国家賠償請求訴訟では、東京地裁(2019年)で勝訴。控訴審の東京高裁判決(2021年)は、警察だけでなく検察の取調べの違法性も認め、国と茨城県に計約7,400万円の賠償を命じた。
 事件現場に指紋のないこと、自白と現金強取方法・現場状況の矛盾について鑑定して、再審開始決定に影響を与えたといわれる「齋藤鑑定」について、「布川事件(ケース4)犯人指紋の不存在の状況証拠化の意義」齋藤保『弁護人のための指紋鑑定』(現代人文社、2013年)134頁が詳しい。

【櫻井昌司さんの著作とCD】
・CD『桜井昌司獄中歌集 想いうた』(自主制作、2014年)
・CD『壁のうた 桜井昌司獄中詩歌集より』(自主制作、2000年)
 バリトン佐藤光政、ピアノ藤井ゆり、プロデューサー楠本和彦。これが最初のCD。作詞・作曲桜井昌司。ただし本人の歌唱ではなく、佐藤光政さんである。
・『獄中詩集 壁のうた——無実の二十九年・魂の記録』(高文研、2001年)
『CDブック 獄中詩集 壁のうた——冤罪・布川事件 無実の二十九年・魂の記録』(高文研、2011年)
・CD『私の人生』(自主制作、2021年)
『俺の上には空がある広い空が』(マガジンハウス、2021年)
・「桜井昌司獄中詩抄復刻版89編」(冤罪犠牲者の会、2022年)
 1991年から1998年にかけて、布川事件桜井昌司さん杉山卓男さんを守る会から、B6判より小さい横長の判型で発行された「桜井昌司獄中詩抄(その1) 待つ」「桜井昌司獄中詩抄(その2) 父ちゃんへの手紙」「桜井昌司獄中詩抄(その3) 季節のたびに」「桜井昌司獄中詩抄(その4) 限りなき日々へ」「桜井昌司獄中詩抄(その5) 窓を拭く」「桜井昌司獄中詩抄(その6) 仮出獄」をまとめたものである。

【櫻井さんの活動を記録したドキュメンタリー映画】
『ショージとタカオ』(2010年、井手洋子監督)
『獄友』(2018年、金聖雄監督)
『オレの記念日』(2022年、金聖雄監督)


【谷萩陽一(弁護士、布川国賠訴訟弁護団長)の弔辞】

 櫻井昌司さん、あなたがこんなにも早くいなくなってしまったことで、日本中に悲しみが広がっています。

 櫻井さんが、四十四年の歳月をかけて自らのえん罪を晴らし、国賠訴訟で国にも県にも全面勝訴したその偉大なたたかいは、日本のえん罪とのたたかいの歴史に輝かしい足跡を残しました。

 そればかりではなく、櫻井さんは、たくさんのえん罪被害者を励まし、その人間的な魅力で多くの人を惹きつけ、えん罪とのたたかいに大きな社会的広がりを作り出しました。

 櫻井さんは、再審開始の前から、絶対に勝てると言い続けました。国賠訴訟でもそうでした。櫻井さんにどうしてそんな風に言えたのかと聞いたことがあります。「やってないからです」「やってない人間を刑務所に入れたんだから、責任を負うのは当然です」という答えでした。実に単純明快な答えですが、櫻井さんのこの言葉にどれほど多くのえん罪で苦しむ人たちが励まされたかわかりません。

 櫻井さんの発言は集会や裁判で何度も聞いています。しかし、聞くたびに新鮮なのが櫻井さんの発言でした。そして、癌を発症してからは、人としての生き方を問い続け、聞く者の胸に迫るものがありました。櫻井さんの言葉をもっともっと聞きたかった。これは櫻井さんを知っているみんなの思いではないでしょうか。

 櫻井さんは、私たちを日本一の弁護団だと言ってくれました。しかし、私たちの方こそ、櫻井さんの弁護人、代理人として活動できることに大きな喜びと誇りを感じることができました。私たちは一点の迷いもなく、櫻井さんの訴えを裁判所に伝え続けることができました。櫻井さんこそ、日本一の依頼人であったと思います。

 櫻井さんが最後まで訴え続けた再審法改正のたたかいはこれからです。櫻井さんが全国に蒔いた種が花開き実を結ぶことを、天から見守っていて下さい。

 櫻井さん、本当にありがとうございました。

 2023年8月31日

布川国賠訴訟弁護団長
弁護士 谷萩陽一


【伊賀カズミ(再審法の改正をめざす市民の会共同代表、日本国民救援会中央本部会長)の弔辞】

 追悼の辞(ことば)

 私たちのかけがえのない友、桜井昌司さんのご葬儀にあたり日本国民救援会を代表し、心から哀悼の意を表します。また長きにわたり桜井さんとともに歩み、その活動の全てを支えてこられた恵子さんをはじめ、ご遺族のみなさま、関係者のみなさまに謹んでお悔やみを申し上げます。

 桜井さん。予期していたこととはいえ、実際の訃報に接した時、私たちは大きな悲しみとともに、心にぽっかりと穴が開いたような喪失感にとらわれました。その喪失感は今も消えてはおりません。

 桜井さん。あなたの29年に及ぶ獄中生活、そして無罪実現までの43年間は、私たち日本国民救援会にとっては、松川事件以来の大衆的裁判闘争の具体的実践の道すじでもありました。

 仮釈放が決まった時、あなたは「この喜びを」と言う詩を書いていますね。

 「この喜びを あなたに伝えたいです。
  まだ私たちの無実を知ってくださる人が ほんの少しだったときに
  守る会を組織することからはじめ 真実を広めて 支援者を増やすために
  大変なご苦労をされたあなたに もう逝ってしまわれてあなたに
  一人ひとりのあなたに
  やっと塀の外へ出られる見通しを得た この喜びを伝えたいです。
  28年9か月目にやっと得た自由への兆しは 自分だけの喜びなのに
  私と同じ思いで喜んでくださる人が社会に沢山いてくださることは
  何よりもの喜びです
  自分の喜びが自分一人の喜びでないことが 何よりもの喜びです。
  この喜びを 人間としての喜びを あなたに伝えたいです。」

 この詩の中の「あなた」は、地元水戸をはじめ全国で布川事件を支援し続けた、多くの守る会会員、救援会員のことを指し示しています

 「いつの時代もたたかう人々とともに」をスローガンとして掲げ、実践する私たち日本国民救援会は、たたかうことを決意し、たたかい続ける冤罪の犠牲者、人権侵害の犠牲者に寄り添いながら、無罪判決の実現、人権の回復をめざし、戦前から今日にわたるまでともにたたかい続けてきました。そしてその延長線上に、無数の「あなた」を生み出してきたのです。「たたかう人々」の存在がなければ、無数の「あなた」は生まれず、私たち国民救援会の存在意義もないに等しいのです。桜井さん。再審無罪を実現し、警察・検察の不当性を暴く、権力犯罪追及裁判・国家賠償請求裁判に勝利し、さらに再審法改正に挑むというあなたの闘う姿勢を引き継ぎたたかうことを決意した方たちとともに、私たち日本国民救援会は、歩みを止めることなく、日本の民主主義の土壌を耕し、強固な地盤を確立し、一人の冤罪犠牲者も、人権侵害の犠牲者も生み出さない、そんな社会実現をめざしてたたかい続けます。桜井さん。どうかかわらず見守り続けてください。

 2023年8月31日

日本国民救援会中央本部会長
伊賀カズミ


【中澤宏(元布川事件桜井昌司さん杉山卓男さんを守る会、布川国賠を支援する会事務局長)の弔辞】

 故 櫻井昌司 様

 「櫻井昌司獄中詩集『夏が好き』」の最後の一節に 「丸裸になったらば 身の潔白を分ってもらえるような そんな気もするのです 何も隠すことがないボクには 無実の罪のボクには 夏こそがふさわしいのです だから、ボクは夏が好きです」 という言葉があります。

 1967年8月に起きた布川事件に巻き込まれた櫻井さんにとって、悪夢のような夏なのに、貴方は夏が好きだという。冤罪で無期懲役が確定した不運を幸せに、全てを逆転させていった貴方の生き方を象徴するような言葉です。そんな貴方は大好きな夏に旅立たれました。

 私が新婚ほやほやの櫻井ご夫妻と初めてお会いしたのは、1996年に仮出獄で櫻井さんと杉山さんが社会復帰し、第2次再審請求の準備に取り組んでいた1999年の暮れのことでした。

 冤罪で29年間も獄中にいたという貴方に「本当にやっていないのですか?」と質問した私をまっすぐ見つめ、「やっていません」と返事をくれたのが、初めての会話でした。

 労働争議支援の経験はあっても、52年間冤罪事件とは全く無縁の私でしたが、嘘とは思えなかったので、その場で守る会に入会し、櫻井さんの獄中詩集や、守る会作成の資料を読んだりする中で、冤罪であることに確信を深めていきました。

 そして翌2000年、水戸市で開催された「布川事件支援・佐藤光政コンサート」で、貴方が作詞・作曲した「母ちゃん」を聞いたことが、再審請求運動にかかわることを決定付けました。その後、第2次再審請求を盛り上げるための「全国キャラバン応援団」や救援会に加わり、2001年には守る会事務局長になっていました。

 2001年12月に提出した、布川事件第2次再審請求にかける貴方の決意は並々ならぬものでした。人生のすべてを再審請求に賭けた貴方の想いや行動が支援者を、弁護団を奮い立たせたのです。守る会は再審無罪実現のための署名を集め、毎月裁判所への要請・宣伝を繰り返し、地元利根町への宣伝、都内での駅頭・街頭宣伝を毎月行う一方、事件学習会、現地調査を毎年開催。支援コンサートなどの大きなイベントにも取り組みました。その先頭には「真実は必ず勝つ」とみんなを励ます貴方の姿がありました。

 2005年9月に水戸地裁土浦支部で再審開始決定が出される数か月前、裁判所要請の支援者に、「裁判長から心証を得たとお伝えください」との異例の伝言があったのも、貴方と支援者、弁護団の、真実を訴える弛まぬ努力が、裁判官の心に届いたからだと思います。

 貴方は、第2次再審請求に取組みながら、大崎事件を始めとするほかの冤罪犠牲者支援にも積極的に取り組まれました。「もう少し布川事件をアピールしてくれれば」と内心ぼやいたこともありましたが、冤罪事件すべてを歴史的、同時代的に捉えて、その中でこそ布川事件の再審・無罪も勝ち取れるという貴方の確信は揺らぐことはなく、2011年の再審無罪、2022年の国賠訴訟完全勝利によって貴方の正しさが証明されました。

 櫻井さんは1947年1月生まれ、私は3月生まれなので、少し兄貴のはずですが、獄外での経験は私の方が長いので、弟のように思えることもありました。

 櫻井さんは嘘の供述をしたことで、冤罪事件に巻き込まれたことを反省して、「絶対に嘘はつかない」ことをモットーにしていました。ある時「真実でも言わない方がいい場合もあるんだ」とつぶやいたので、私は耳を疑いました。しかし、反省はどうもその時だけだったようです。

 歯に衣を着せぬ貴方の論評は鋭く、真実を見事に抉り出しますが、ときに真実はプライドの高い人たちを傷付けることもあり、反発や批判を受けることもありました。

 様々な取り組みを成功させる方法を巡って、よくケンカをしましたね。でも、数日で仲直り。同い年の私たちはウマが合いました。23年余、櫻井さんと付き合わせていただく中で、親しみもよりも尊敬の念が深くなっていきました。

 冤罪犠牲者救援の熱弁をふるう貴方は、全ての冤罪犠牲者とその家族、支援者、弁護士にとって希望の星、太陽の光を浴びて輝く向日葵のような存在でした。

 しかし、向日葵のような貴方に、もうお会いすることはできません。ブログを開いても、独特の世界観に基づくコメントは読めません。あの、辛辣なコメントを直接聞けないのだと思うと悲しく無念です。

 「得れば失い、失えば得る」は貴方の人生訓ですが、貴方を失った私たちはいったい何を得られるのでしょうか? 答えは今のところ見つかっていません。

 貴方は再審法改正と冤罪犠牲者をなくすために、もう少し生きたいと必死に頑張ってこられました。私は貴方に出会って人生を変えられた一人であることに誇りをもって、その想いを受け継いでまいります。

 最後に、櫻井さんならどう考え、どう行動しただろうかと、貴方と出会った一人一人が考え、恥ずかしくない生き方をすることが、貴方からお受けした御恩に報いる道だということを改めて確認し、お別れの言葉とさせていただきます。

 櫻井昌司さん、冤罪をなくすために56年に及ぶ長い闘い、本当にお疲れさまでした。

 ありがとうございました。安らかにお休みください。合掌

 2023年8月31日

元布川事件桜井昌司さん杉山卓男さんを守る会、布川国賠を支援する会事務局長
中澤 宏

追伸 貴方の亡くなられた8月23日を向日葵忌と名付け、冤罪犠牲者とともに毎年偲ばせていただくことをお許しください。

*追伸は、当日読み上げていませんが、加筆しました。

(2023年09月08日公開)


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